大人は判ってくれない

大人は判ってくれない

フランス 1959
監督 フランソワ・トリュフォー
脚本 フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー

勝手にしやがれ」とほぼ同時期に発表されたヌーヴェル・ヴァーグの幕開けを飾る作品。

両親の不和に悩み、自分の居場所を見つけられない少年の転落をつづった物語なんですが、私がまず驚いたのは全く古さを感じられないこと、でしたね。

なんせ59年の映画なんで当然モノクロなんですが、モノクロであることが何故かレトロな感触を抱かせないんです。

名カメラマン、アンリ・ドカエが撮影を担当してるせいもあるんでしょうけど、色彩がないのにも関わらず、それがやたら美しく目に映るとでもいいますか。

これは初めての経験でしたね。

正直、なにが私にそう感じさせていたのか、明確な答えは今も見つかってないんですが、こういうものこそをスタイリッシュと言うんじゃないか、と思ったりしましたね。

スタイリッシュって言葉、あまり好きじゃないんですけど、他にどう表現すればいいのか、私の中に字句が見当たらない。

シナリオの出来もすこぶるいい。

物語前半は、悪気はないんだけどやることなすこと裏目、裏目で結果的に不良扱いされてしまってる少年の話なのかな?って感じなんですが、ストーリーが進むにつれ、主人公の少年は、本来なら与えられてしかるべきものを与えてこられなかったがゆえ、どうしていいのかわからぬまま境界を飛び越えてしまった子供なのだ、とだんだん判ってくる構造になってる。

描かれているのは孤立なんですよね。

両親が少年と本気で向き合おうとしないことから、早熟であること、1人で生きていくことを選択せざるを得なかった不遇がその根底にはある。

多分、こういう両親って、それこそ世界中で星の数ほどいて、無責任に放り出された子供もその数だけ苦しみの最中にあるんでしょうけど、この作品が優れていたのは、決して少年はひどく荒んでいたわけでも、悪童だったわけでもない、と明示していた点でしょうね。

普通にいい子なんです。

けれども悪事に対するブレーキが存在しない。

つまりは、なにが自分をそうさせているのか、少年自身もはっきりと理解していない、ということ。

その前提を踏まえるなら、鑑別所での母親との面会シーン、あれほどショッキングな場面はそうそうない、と私は思うわけです。

突きつけられた現実は、最初から興味の対象外だった、に他ならないわけですから。

監督の半自叙伝的作品らしいんですが、よくぞ過去を乗り越えたことよなあ、とつくづく思います。

救われなさに心が痛みますが、それゆえ決別を暗喩するラストシーンが印象的です。

文句なし、名画でしょうね。

余談ですが邦題は少し甘ったるくって、作品のテーマから幾分ズレているような気もしますね。

かといって原題は「4つの数」なんで、これはこれで意味が伝わりにくかったりもするわけですが。

50年代以前カテゴリの最新記事