戦慄の絆

カナダ 1988
監督 デヴィッド・クローネンバーグ
原作 バリ・ウッド、ジャック・ギースランド

戦慄の絆

あ、今までとなにかが違う、というのが、最初に見たときの感想でした。

クローネンバーグはこの作品を起点に、明らかに自己の表現手法を変えてきた、と思います。

なんといいますか、不必要に煽らないんですね。

じっくりと登場人物の内面を掘り下げるように、淡々と不穏さを、崩れゆく均衡が醸す秘めたる狂気を、幾重にも塗り重ねていく手口は、ホラーやSFにとらわれぬ重厚な心理ドラマを見るかのようでした。

テーマそのものはこれまでと大きく違わない、と思うんです。

過去の作品で常に追いつづけた「異形の悲哀」は一卵性双生児のゆがんだ関係性に形を変え、「肉の変質」は産婦人科医という役回り、また、クレアというヒロインそのものに形を変えた。

不気味なオリジナル手術道具の忌まわしさなんてまさにこの人ならでは。

ただ、素材を器にどう盛るか、また素材自体をエンターティメントの流儀にそわせるのかどうか、といった部分で、あえてアートな側面を重視したような気がします。

赤の手術着なんてまさにその象徴ですよね。

医療に関して、きちんと下調べがしてあって、専門的に不備はないか、腐心した形跡があるのも初めてのこと。

結構な頻度でクローネンバーグの作品には医学が絡んでくるんですが、これまでは本当に荒唐無稽な切り口、飛躍が多かったので、ああやっとまともになった、というのはありました。

総じて端正で緻密。

これはやはりグレードがあがった、ということなんだろうなあ、と思います。

若干わかりにくいラストシーンに評価が分かれるかもしれませんが、あえて多くを語らず絵ですべてみせる演出に私は酔わされましたね。

敷居は高いかもしれませんが、ザ・フライの次にくる作品として、見事新機軸を見せつけたのは確かです。

ジェレミー・アイアンズの1人2役もすごいの一言。

後をひく作品ですね。

自己同一性の崩壊を描いた作品で、どこか静謐さを感じさせる、なんて、とんでもなく稀有なのでは、と思ったりもしました。

おさえておくべき1本だと思います。

コメント

  1. […] 戦慄の絆でひとつの完成を見たクローネンバーグが次の一手を模索していたのかもしれないなあ、なんて思ったりもします。 […]

  2. […] 戦慄の絆でアイデンティティと性に着目したクローネンバーグのその後の作品としては、順当な題材選びだったかと思いますが、いかんせんジョン・ローンという当時の人気俳優をキャスティングしたのが失敗だった、と私は思う次第。 […]

  3. […] なんだか振り返ってみれば戦慄の絆が頂点であったような気がして困ってしまうファンの私だったりします。 […]

  4. […] 舞台にもなった衝撃の短編「半神」。これがもし、ブラックジャックの一話なら「快楽の座」や「植物人間」のように封印されたりしたんだろうか、と言う思いがちらりと頭をかすめたりもしますね。色んなところで色んな人がこの作品について論じておられますが、私がすかさず思い出したのはデ・パルマの悪魔のシスターであり、クローネンバーグの戦慄の絆であったりしました。何を描こうとしていたのか、おおよその見当がつかなくはないんですが、やっぱり短編で伝えきるにはページ数が足りなかったか、と言った印象。せめて100ページあればエンディングも変わっていたように思います。強烈な読後感を残す作品ですが、どう評価していいか悩む部分もあったりも。「ラーギニー」「スローダウン」「酔夢」はイマジネーション豊かなSF短編。マンガならではの絵の説得力が光る。「花埋み」「紅茶の話」「追憶」「パリ便り」は絵物語。「ハーバルビューティ」はコメディ調の宇宙SF。 きちんとSF的なオチが用意されているのが好ましい。「あそび玉」はいわゆるエスパーものなんですが、地球へ・・の萩尾版を読んでいるような感じも。一番の異色作は「マリーン」。間違いなく萩尾望都はこういう演出はしないと思われる描写があちこちにあり失笑。原作つきだとこうも違うのか、と驚かされる。くさくならない、と言うのが萩尾望都最大の長所かも知れない、と本作を読んでいてふと思ったりしましたね。それでもエンディングはきっちり自己流に手直しされており、感心。 […]

  5. […] それができてたら、これはギャングものにおける戦慄の絆だ、なんて評価もありえた、と思うんですよ。 […]

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