メビウス

韓国 2013
監督、脚本 キム・ギドク

開き直って不貞行為を続ける夫への憎しみが募るあまり、夫のイチモツを切り取ろうとした妻の、その後の凶行を描いた家族ドラマ。

とにかくもう、いきなりです。

オープニング早々、鬼女がごとく醜悪な表情でダンナに襲いかかる女の大暴れぶりに、まずは度肝を抜かれます。

いきなり狙いは男根、って、一体どれほどの恨みつらみをこれまで押し殺してきたんだよ・・・と、ドン引き。

というか、これもう物語のクライマックスだから、と。

大島渚監督の愛のコリーダ(1967)の題材となった阿部定事件そのままですしね。

キム・ギドクは大問題作愛のコリーダを、自分流の解釈で焼き直そうとしてるのか?と。

それとも、その後を描こうとしてる?

どちらにせよ、相当な難事業だぞ、それ、と思って続きを追ってたら、物語はあらぬ方向へ。

女は夫の強烈な抵抗に抗しきれぬと判断し、何を思ったのか、自室のベッドで寝ている自分の息子のイチモツを切り取ってしまうんです。

いやもう、唖然でしたね。

確かに息子は父と浮気相手の不貞行為を覗き見して興奮してましたけどね、だからといって実の母親が「夫の男根も憎いが、ついでに見境のない息子のおちんちんも憎し!」ってなるか?と思うわけですよ。

それだと憎悪の対象が人ではなく、性器(男性生理?)そのものになってしまう。

はっきり言って、病院のお世話にならなきゃいけない案件。

その衝動性は無差別殺人鬼の通り魔的犯行に限りなく近い。

この時点で物語は、女の凶行と愛憎を描くスタンスから別の視点へとシフト。

で、それがなにかというと、降って湧いたような災難に苦しむ息子と、なんとか救ってやりたいとする父のストーリーだったりするんですよね。

なんだろ、犯罪被害者のその後を追っていくみたいな感じ、とでも言えばいいでしょうか。

うーん、これどうなんだろうなあ、と。

まず私がひっかかったのは、性器切断というエキセントリックな題材でなけりゃ被害者親子の苦しみは描けませんか?という点。

別にイチモツじゃなくてもいいわけですよ、テーマは「事件をどうやって乗り越えていくか?」だから。

結果的に父が自分の行いを悔い改め、息子が前を向くことができればストーリーはそれなりの場所へと着地できるわけだから。

性器にこだわるのであれば、女はなぜ男根を切断しようとしたのか?を掘り下げていかないと意味がない。

女の内面、家族関係を細やかに描写し、その背景を浮き上がらせることに腐心することこそが本作の「題材選びの奇矯さ」へ答えることに他ならないんであって。

ただイチモツを失った少年の悲哀を切々とつづられてもですね、事故みたいなものだよね、可哀想に、としか言いようがないわけで。

さらにわけがわからんのが終盤の展開で。

報いと再生を描いてるはずが、エンディングにて再び女登場で物語は大混乱。

だから、なにをやりたいんだキム・ギドクよ、と。

スラッシャームービーかよ、って。

やっつけた、と思ってた殺人鬼が再び最後に登場でスリル満点、ってか。

監督本人は壊れた家族の闇、性欲の罪深さを女の性(さが)によって表出させたつもりかもしれませんけどね、シナリオの組み立て方がおかしいし、ラストシーンへ至るまでの目線が終始ブレてる。

初期作に感銘を受けてずっと追ってきたキム・ギドクですが、もう枯渇しちゃったかな、という気もしますね。

この内容を全編セリフなしでやるセンスもどうかと思いますし。

唯一、不可解だったのは、夫の妻と浮気相手を同じ女優が演じてることなんですけど、これ、考えても結論でないな、と私は思った。

ミステリの手口っぽい感じですけどね、多分計算というより寓話性みたいなものに寄りかかろうとしたんでしょう。

そういうことじゃないんだよ、ギドクよ。

なんだかただ疲れる映画でございました。

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