韓国 2001
監督、脚本 キム・ギドク

見ず知らずのヤクザに騙されて売春宿へ売り飛ばされてしまった女と、そのヤクザ本人との、いびつで不可解な関係を描いた作品。
キム・ギドク初期の衝撃作、と言っていいでしょうね。
もうこんなシナリオ書ける監督なんて近年じゃあ彼ぐらいしか居ないんじゃないか、とすら思います。
相変わらず0年代の作品にしちゃあ60~70年代風な愛憎劇ではあるんですが、私が一番気に入ったのは、ヤクザと女を描くにあたって一切の美化や気どりがないこと。
これ同じ題材でヨーロッパあたりの監督連中が撮ってたら、おそらく浮世離れして厭世的にエロスな路線へ舵を切ってたんじゃないか、と私は思ったりするんですね。
文芸とか幻想とかも隠し味にしてます、みたいな。
まあ、そういう監督ばかりじゃないことは一応理解してるつもりなんですが、その手の路線で批判や嫌悪感をかわす手口がやはり無難というか、製作側が監督をコントロールする上で、ギリギリの妥協点な気がするんです、私は。
それがダメだ、というわけではないんですけどね、往々にして、あ、なんかおかしな脚色してるな、というのは透けて見えてきがち。
結果、なんの妄想だったんだよ、ってな感想しか抱けないケースがやっぱり多い。
ま、私の場合は、の話ではあるんですが。
ところがギドクは違う。
もうこれでもかとばかり赤裸々に身も蓋もなく露骨です。
そんな描写まで入れなくていいのに、と目を背けたくなるほどに。
特にこの作品に限ってはほとんど女性の支持はえられないんじゃないか、と私は思いますね。
いわゆるフェミニストな方々からは総スカンを食らいそうな気も。
こんなのストックホルム症候群みたいなもので、共依存にすぎない、と言う人もきっと居ることでしょう。
そこは私も否定しきれない。
なにが女の心情を変化させたのか、具体的な答えが見いだせなかったのが実際ですし。
けれど、女に心底惹かれたヤクザがその想いを遂げる手段として、女を自分のテリトリーに引き込むにはああするしかなかった、と考えると、そこに浮き上がってくるのは意外にも純愛だったりするんですよね。
それ証拠にヤクザは女と一度たりとも情を交わさないんです。
女を売春婦に仕立て上げておきながら、客に弄ばれる女を口惜しげに見つめるだけ。
はっきり言って正気の沙汰じゃないですし、凄まじい屈折ぶりなのは間違いないんですが、最終的に女は何を受け入れて、男は何を選択したのかを明確にするエンディング、これが暗示するものは一義的な一般論では片付けられないものをはらんでいたことは間違いない。
結局、監督は何を訴えたかったのか。
私が思うに、あなた達が眉をひそめるようないかがわしさや、モラル、倫理観を逸脱した淫奔さの渦中にあっても、その場所でしか形をなさない結びつきも現実にはあるのだ、とした無理解への意趣返しだったのでは、と。
それが正しいとか、受け入れてあげましょうとか、そういう話じゃないんです。
そんな風にしか生きていけないことだってあるんだ、という事実の現認。
白でもなければ黒でもない、ましてやグレーでもないことだってある、と諭されているような気になりましたね、私は。
誰しもに受け入れられる作品では決してない、と思いますが、物語の到達点の獰猛さはちょっと他に類を見ない、と感じました。
破れた写真やマジックミラーを使った細かい演出も、いつになく印象的。
汚いものは汚い、臭いものは臭いと怯まず真正面から描く監督の流儀が結実した一作ではないでしょうか。
終盤にたった数行のセリフしかないチョ・ジェヒョンの演技が強烈です。