2019 アメリカ
監督 ハンス・ペテル・モランド
脚本 フランク・ボールドウィン
ファイティング・ダディ怒りの除雪車(2014)を監督自らセルフリメイクした作品。
どうでもいいけどすごい邦題だなあ、オリジナル。
半ば笑わせにかかってる気がしなくもないもないんですが、黒いユーモアを笑いと解するならあながち狙いは外れてないかも。
オリジナルは未見なんですけど、同じ人物がメガホン握ってることですし、多分作風に大きな差はないんじゃないか?と思うんですが、さてどうなんでしょう。
さすがに「怒りの除雪車」って語感ほどではないですけど、本作においても笑える要素は散見。
ブラックな味わいではありますが。
The Mercury Newsがコメントしてましたが「タランティーノが96時間を撮ったらこうなる」というのは至極的確な物言いだと思いますね。
もう、全部言っちゃてるじゃん、って感じ。
息子を理不尽に殺された親父の復讐劇がストーリーの中軸なんですが、そこに警察と先住民とマフィアが入り乱れて絡んでくる展開がなんともタランティーノっぽい。
そこは初期のガイ・リッチーでも置換可。
誰も彼もが勘違いを塗り重ねて、一向に真相へと迫らないもどかしさが楽しいんですよね。
しかしノルウェーからこういう映画を撮る人が出てくるとは思わなかったですね。
いや、北欧の映画って寒々しい絵面とシリアスなストーリーの作品が多いから。
笑いがあってもオフビートだったり。
こんな風に突き抜けた監督もいるんだな、と。
ま、シナリオの緻密さに反して主人公である親父がね、なんのバックボーンもない割には思い切りが良すぎるし、無敵すぎやしないか?というツッコミはきっとあると思うんですが、そこはもう「リーアム・ニーソンだから」で納得しときましょう。
リーアム・ニーソンがみんなが期待するものを裏切ってまでリアルに徹したところでろくなことにはならんでしょうし。
裸足で駆け出してくる母とか、せり上がってくる死体とかね、こまやかな演出が上手なんで、多分やろうと思えばリーアムを脇に据えることも可能だったと思うんですが、そこはもうファンサービスだから、でいいと思います。
真面目なオッサンほど一旦ブチ切れると怖い、というギャップは少なくとも体現してましたし。
全部丸投げしちゃったかのように見えるエンディングも、模範市民賞受賞者の責任感あふるる行動、と考えるならどこか解せたりもして、私は少し笑ってしまいましたしね。
センスを感じさせる秀作だと思います。
リーアム・ニーソンは食傷気味、という人が見ても楽しめるんじゃないでしょうか。
余談ですが、特捜部Q Pからのメッセージ(2016)を撮った人だと後から知って驚きました。
全然作風違うじゃねえかよ、って。
やはり特捜部Qではシリーズ物ということで、抑制してた部分があったんでしょうか。
プロだなあ。