アメリカ 2016
監督 ジョディ・フォスター
原案 アラン・ディ・フィオーレ、ジム・カウフ

一言でいうなら平坦な出来。
この題材で、この結末ならもっとスリリングで劇的になったはず。
やっぱり演出ができてない、というのは歴然としてるように思います。
例えば序盤、生放送の最中に銃を持った男が乱入し司会者を人質にとるシーン、これ瞬時に落差をつけないといけない場面です。
陽から暗へとガラリと色を変えなきゃいけない。
でも物語の温度がそれまでと全く変わらないんですね。
なんだか番組内でのコントのようにも見えてしまう。
これ、色々原因はあると思いますし、ジョージ・クルーニーやジュリア・ロバーツへどう演技指導するかという問題もはらんでいるかとは思うんですが、とりあえず、それまでと同じ調子でスタジオ内の画をのんびりカット割りしてる段階で、ああこりゃだめだ、と私は思った。
やっぱりここは、テレビ局内でのルーティーンワークが、突然外部からの横暴で犯罪実況生中継になったことを印象づけるためにも、手早くテレビの向こう側に居る人たちの反応や、局上層部の反応、裏方の反応なんかを次々とシーンに織り込むべきだった、と思うんですよ。
まあ、わかりやすい手口ですけど、それがあってこそ内の世界の出来事がいきなり外部へと開かれた、と肌で理解できるわけで。
俄然ライヴ感も生まれてくる。
その手の至らなさは他の場面でも随所に散見できて。
あまり適切な言い回しではないかもしれませんが、監督、フットワークが鈍い。
ああ、そういえば警察の反応や、投資家の反応も描かなきゃねえ、って感じでそういう画は一応用意してくるんですけどね、全部タイミングはずしてるんです。
今じゃねえだろ、もっと早く、適切な箇所があったでしょ、って感じ。
デティールにこだわってないのも気になった。
例えば重要なアイテムである爆弾ベスト。
これ、舐めまわすように撮っておかないといけなかった、と思うんですよ。
詳しい人が見たらなにかに気づいてしまうようなきわどさでもって。
それでこそ終盤での思わぬオチも効いてくる。
ストーリーのフックとなるような展開もやりようによっちゃあ、産まれてたと思う。
人物像を掘り下げてないのもよろしくない。
特にジュリア演じるパティは完全にデク人形でしたね。
凄い重要なキャラなのに、なんで一切の味付けなしで事件に放り込むのか、という。
よくジュリアはこんな曖昧模糊とした人物を演じれたことだと思う。
ジョディ・フォスターはきっとそれなりに勉強して監督に臨んでいるんでしょうけど、私の見立てではこれなら別に他の職業監督でも充分代用化と思いました。
彼女がわざわざメガホンとって撮らなきゃならないほどのオンリーワンな作品じゃない。
向いてない、余技的、と揶揄されないためにもいっそうの奮起を。
女優としての彼女が素晴らしかっただけに、次作での見違えるような変貌ぶりを期待したいところ。
このままじゃダメでしょうね。