ルーマニア/フランス/ベルギー 2016
監督、脚本 クリスティアン・ムンジウ

登校途中、暴漢に襲われ深い心の傷を負った娘のために、手を汚すこともいとわず裏工作に奔走する父親の姿を追った人間ドラマ。
この場合の裏工作とは、翌日に受験を控えた娘のために裏口入学の手筈を整える、といった程度のことなんですが、そこから見えてくるものがいったい何であるのか、がこの映画の肝。
まず私が巧妙だ、と思ったのは、別段父親は最初から不正に手を染めるつもりはなかった、としたシナリオライティングですね。
最初、父親は、動揺している娘のためになんとか日程なり、試験時間なりの便宜を図ってくれないか、と真正面から試験官に懇願するんです。
普通の父親ならきっと誰でも娘のためならそれぐらいは当然やることでしょう。
ただ、この父親、警察病院のドクターであり、所轄の警察長官とも懇意にしている、というのが物語を思わぬ方向に導く。
事情を知った警察長官は悪びれることもなく父親に申し出るんですね。
副市長と知り合いだから、仮に合格点に及ばなくともなんとかしてくれるように頼んでやる、と。
その代わり、肝臓を患ってる副市長のために、肝臓移植の順番を早めてやってくれ、と。
さて、ここで「いや、そんな不正に手を染める事はできない」と頑なに断れる父親がいったい何人いることか。
というのも娘のエリザ、母国であるルーマニアを出国してイギリスの大学に通うために、何年も努力を重ねてきた女の子だからなんですね。
実際、合格間違いなしと太鼓判を押された実力もある。
それを降って湧いたような災難のために台無しにされようとしている。
そもそもエリザはなぜイギリスの大学に通おう、としているのか?
そこには民主化に失敗して不正と汚職がはびこるルーマニアと言う国の深い絶望がある。
自分たちと同じような辛い思いを娘にさせたくない、と父親は強く願ってるんです。
ようやく巡ってきた千載一遇のチャンス。
裏口入学が正しくないことは充分父親も承知している。
けれど、今、何を娘のためにしてやれるか、を考えた時、泥をかぶるのが自分ひとりで済むのなら・・・と決心した父親を誰が責められるのか、という話であって。
また、父親の立場上、コネ社会であるルーマニアで長官の申し出を断ることがどういう結果を招くのか、瞬時の計算も働いたことでしょう。
つまり、父親が裏口入学に手を染めようとする一連のシークエンスで、ルーマニア社会の現状、父親として子を思うその胸の内の葛藤、汚職や不正を憎みながらも自ら朱に染まってしまうパラドックス、その全てが読み取れるようになってるんですね。
また、いかに不正が横行していくのか、その手順、デティールをとらえた作劇が異様に丁寧。
これが説得力を産まないはずがなくて。
台詞回しのインテリジェンスも群を抜いてる。
観念的なところに誘導して、なんとなく良かったね、みたいな着地点を設けないんです。
これでもかと現実を叩きつけてくる。
ロジックと感情がぶつかりあい、答えの出ぬ袋小路がひたすら積み重なっていく。
そこはもう戯曲並みの濃さがあったように思いますね。
脇を固めるドラマの数々も秀逸。
実はとっくの昔に壊れてしまっていた夫婦関係とか、老齢の祖母の扱いとか、娘の彼氏の実像にせまる監視カメラが告げた真相とか。
どれもこれもままならないものばかりを抱え込んで、なにが正解なのか全く答えの見えてこないままなだれ込んだエンディングは、決して悪人といえるほど狡猾ではない父親の悲哀、報われなさを見事浮き彫りにしていたように思います。
決して父親がいいヤツだとは思いませんけどね、彼がただひたむきに娘の幸せだけを願ったその思いには泣けてくるものがありましたね。
父娘の「ボタンの掛け違い」を描いた秀れた作品だと思います。
カタルシスを得にくい作りになってることが、かえって痛々しいまでのリアリズムを成立させているように感じました。
余談ですが、冒頭で自宅に石を投げられたシーン、車のガラスを割られたシーン、夜間藪の中に父親が侵入していくシーンがいったいなんだったのか、私には最後までわかりませんでした。
誰かが一家に(父親に?)嫌がらせをしているということなんでしょうけど、それをはっきりと明かさないんですよね。
なにかを暗喩してる、ってわけでもないでしょうし。
単に治安の悪さを印象づけてるだけなんでしょうかね?
謎を解いた人が居たらぜひ教えて欲しいところですね。
高いドラマ性のある一作だと思います。
少なくともシナリオの完成度、こりゃ尋常の出来じゃない。
カンヌ系で久しぶりにこれはいい、と思った一作でしたね。