フランス 1987
監督 モーリス・ピアラ
脚本 モーリス・ピアラ、シルヴィー・ダントン

多神教であり、明治政府が禁ずるまで平気で仏教と神道を混ぜ合わせてしまうような日本人にとって、この作品は恐ろしく理解不能なのでは、と私は思います。
キリスト教司祭として一人前になることに、真摯に、強情に、狂信的に取り組む1人の信徒が主人公の物語なんですが、まず最初の段階で、彼が思い描く理想の神父像とはいったいどういうものなのか、それが全くわからないんですね。
なにを苦しんでいて、なにが自分は足りないと思っているのか、それがほぼ主観でひたすら観念的に語られるんで、伝わってくるものがなにもない。
また、相談役の神父も主人公と相対していながら、客観的な助言をほどこすどころか「私はもっとダメだ」としか語らぬ有様。
そんな状況で悪魔に出会いました、でも負けません、あれ、なんだか奇跡がおこせるよ?とシナリオが展開したところでですね、通勤途中、隣でバスを待つ女子高生同士の会話以上に意味不明。
カメラワークがやたら単調なのも退屈さを後押し。
調べてみたところによると、このモーリス・ピアラって監督、ワンシーンをワンカットで撮ることが多いらしいんですね。
見た限りでは、なんのために?としかいいようがない。
セリフの難解さも含め、平面的な画作りに演劇的なものを感じたりもしましたが、じゃあそれがライヴ感、臨場感につながっているのか、というとそうでもなく。
なんだかもうすべてが誰かの独白を延々聞かされているようなんです。
そこに整合性をともなう構成や、解せる演出の妙は存在しない。
またエンディングが何故そうなるのか、さっぱり意味不明ですし。
私に感じられたのは宗教の愚昧さ、ただそれだけでした。
そりゃこの作品がカンヌでパルム・ドールを受賞したりしたら批難轟々でしょうよ、と納得。
私にはわかりません。
キリスト教圏の国々に生きる人にしか共感できるものはないのでは、と思った次第。