ブラザー・フロム・アナザー・プラネット

アメリカ 1984
監督、脚本 ジョン・セイルズ

ブラザー・フロム・アナザー・プラネット

低予算のインディーズ作品ながら、並み居る大作SFを押しのけいまだ多くの人の支持を集める一作。

監督はロジャー・コーマン門下で映画を学び、主にコーマン監督作で脚本を執筆した人物。

「コーマンの弟子なんだったらあれでしょ?ケレン味たっぷりな痛快娯楽作路線?」とつい早合点してしまいそうになりますが、本作はどちらかと言うとちょっぴりコミカルでハートフルな内容で、師匠の影響を感じさせる部分はあまりありません。

まあ、コーマンの門下にはキャメロンやスコセッシも居るぐらいですしね、師の作風で判断するのは適切じゃないんでしょうね。

地球に落ちてきた男(1976)あたりを想像してもらえるとわかりやすいかと思います。

あの作品ほどドラマチックなわけではないんですけど、もし地球にやってきたのが「黒人そっくりの宇宙人」だったら、というのがこの物語の骨子。

宇宙人、どうも何かから逃げてるっぽいんですが、しゃべれない、という設定なんで詳しい事情はわかりません。

ただ、しゃべれないなりに彼には特技があって、それは「触れるだけで壊れているものを直してしまえる」こと。

ニューヨークのハーレムに暮らす人々と特技を活かした交流をかわす内に、だんだん宇宙人も地球に馴染んできて・・・というのが序盤のあらすじ。

なんせ低予算で80年代ですんでね、特殊効果は凄まじくチープですし、もう完全に言ったもの勝ちの世界じゃないか、みたいな有様なのは間違いないんですが、不思議なのはストーリーを追う内に「普通に黒人」だった宇宙人がね、だんだん「黒人を装う宇宙人」に見えてくることなんですよね。

これはやはりシナリオの持つ力であって、演出の巧みさなんだろうなあ、と。

また主演のジョー・モートンがいい味出してて。

飄々とすっとぼけた仕草がなんともおかしみを誘ってまして。

いつしかハーレムの仲間の一員になってる宇宙人がなんだか楽しげで、つい見てる側も微笑んでしまいそうになったりもして。

終盤、宇宙人は追っ手に追われて逃げ惑う羽目になるんですが、私が感心したのは、追うものと追われるものの構図が黒人差別の構図とかぶっているように見えること。

もちろん監督はそんなのおくびにもだしません。

どこまでもドタバタ調。

だけどよくよく考えてみたらこれ、メタファーだよなあ、と。

だとするならラストシーンは実に象徴的だった、と私は思うんですね。

一切の説明がないので、なんとなくふわふわしたまま終わってしまった、という印象を持つ方もおられるかもしれませんが、なぜ宇宙人は黒人だったのか?に思いを馳せるなら、SFの意匠を借りた寓話として実に良く出来てるといえるんじゃないでしょうか。

大金を投じなくとも工夫と着眼点次第で、充分「宇宙人もの」として成立することを証明してみせた一作だと思いますね。

あけすけなんだけど優しい目線が沁みる映画です。

私はなんだか好きですね。

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