コールド・スキン

コールド・スキン

スペイン/フランス 2017
監督 ザヴィエ・ジャン
原作 アルベール・サンチェス・ピニョル

気象観測員として南極海の果てにある無人島にやってきた青年の、予期せぬ怪物との遭遇を描いたSFホラー。

ジャケ写だけ見てるとよくあるタイプのモンスターパニックもので、いわゆるジャンル映画なのかな?と先入観を抱きそうになりますが、これがどうしてどうしてなかなか一筋縄ではいきません。

おおむね前半は、この手の映画で誰もが想像するパターンを忠実になぞっていて、ああ、サバイバルものにしたいのね、って感じなんですが、そのままセオリーどおりの着地点へと向かわないのが後半でして。

普通、このタイプの映画って、主人公が生き残ることを第一義とするように思うんですよね。

人智を超えた敵を命からがら殲滅して、ああ良かったね、みたいなオチがほとんどだと思うんです。

で、ラストシーンで、倒したと思った敵が実はまだ生きてた!あかーん!うしろうしろ!うしろに居るって!みたいな。

もちろん生き残らないことにはお話が終わっちゃうんで、サバイバルものとしての側面は最後まで喪失してはいないんですが、それよりも重きを置かれているのが「怪物だらけの無人島で暮らすってのはどういうことなのか?」ということ。

実は無人島には灯台守として先住者が居まして。

襲い来る怪物に対抗するため、主人公はやむなく灯台守と共闘するんですが、この灯台守がなんとも癖のある人物でして。

灯台守、この島には得体の知れない半魚人もどきみたいなのが群れで生息していることを実は知っていながら、何十年もこの場所で生活している、というとんだ変わり者。

ストーリーは怪物の正体を暴くことや、脱出の策を巡らすことよりも、灯台守とはどういう人物なのか?彼の過去にはなにがあったのか?といった方向へ徐々にシフトしていく。

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怪物の存在は、あらがう未知の敵というより、灯台守の奇妙な生活を主人公目線で丸裸にしていくシンボリックな道具立てのようなもの。

怪物の虐殺劇が、初老の男の内面をじわじわと照らし出す役割をその裏側に隠し持っているんですよね。

いやもうね、なんじゃこの重厚な人間ドラマは、と混乱することしきり。

なんせ盛られた器がモンスターパニックですから、まるで文芸作品のような展開に戸惑わされるばかりで。

間違いなく一定数の人は「こんなのが見たかったんじゃない!」とうなだれること間違いなし。

ま、実際私も、期待してたものとはまるで違ったので、こりゃぼーっと見てたんじゃあついていけなくなる、と慌てて座り直したりしたんですけどね。

寝転がって見てたものだからさ、うん。

迎えたエンディングも独特で。

あえてループさせるような作りで、それを着地点とするのか、と唸らされましたね。

細かな説明は一切ありません。

伝わってくるのは「昏い安息」。

この物語を第一次世界大戦前夜、としたのも相当にうまい。

これね、もったいない、と思いますね、ほんとに。

ジャンル映画的な宣伝手法が、こういう映画が好きな人たちを間違いなく遠ざけてると思う。

半魚人もどきさえ登場してこなかったら、カンヌやベルリンに出品されててもおかしくないんじゃないか?という気がしますね。

ただ、SF大好きな私のスタンスからするなら、怪物の得体のしれなさがあったからこそ、ここまで饒舌にドラマを紡げたのだ、と思ったりもするんですが。

見る人を選ぶ一作でしょうね。

できうることなら普段こういう映画を見ない人にこそ手にとって欲しい映画ですね。

ちょっと侮れない、ってのが正直な感想。

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