アメリカ 2015
監督 ドレイク・ドレマス
脚本 ネイサン・パーカー
破滅的な戦争のせいで陸地の99.6%が失われた未来を舞台に、遺伝子操作によって感情を消失した人類の姿を描くSF。
いわゆるディストピア系なわけですが、スケールの割にはお話そのものにさほど広い視野があるわけではありません。
世界に言及しないんですね。
陸地が失われたことで人類は何を強いられ、なにゆえ感情を持つことが悪だと思い至るようになったのか、そのあたりが「こういう設定だから」でスルーなんで、正直伝わってくるものはあんまりない。
昔のRPGみたいなもんです。
こちらが用意したルールの中で遊んでください、という。
そもそも感情を消失した社会、という前提自体が陳腐っちゃー陳腐なんですけどね。
ま、物語の核として料理するようなプロットじゃないですよね。
正直、昔のSFで挿話的に使いまわされてたようなネタだよなあ、と私は思った。
で、そんな目新しいとも思えない世界観で監督は何をやりたかったのか、というと、これがまた実にわかりやすくラブロマンスだったりするんです。
偶発的に感情が復活した主人公とヒロインの、初めての恋の行方を純愛映画さながらにねっちょりと描くんですな。
まず言えるのは、恋すること、愛することの素晴らしさ、残酷さを描きたかったんならなにもこんな大仰な舞台設定は必要ないだろう、ってこと。
SFじゃなきゃ表現出来ないような内容じゃないんですね。
やってることは普通に現代劇として換骨奪胎できる。
いや、愛し合う二人の逃避行をスリリングに描写しようと心を砕いてるのはわかるんですよ、でもね、やっぱりこれはどこか空気が読めてない。
ディストピアな未来でしでかすような内容じゃない。
また絵ヅラがね、無機的で白を貴重とした背景が大半なもので、どうしても目が飽きてきちゃって。
さらにつっこむなら99.6%の居住区を失った人類がこんな高度な文明を維持できるわきゃねえだろう、という根本的な部分での疑問もあって。
結論。
監督、SF向いてないです。
ラストシーンは失われていくものの悲哀と小さな希望が同居した美しいものでしたが、そこに至るまでが悪い意味で中庸ですね。
私にとっては、そうじゃないんだ、器が違うんだ、と進言したくなる一作。