アメリカ 1972
監督 クリント・イーストウッド
脚本 アーネスト・タイディマン

イーストウッド、監督業第二作目にあたる西部劇。
一言半句で紹介するなら「変な西部劇」といったところでしょうか。
今や世界的大監督と言ってもいいイーストウッドも一日にして成らずか、を実感したり。
ま、突き詰めるならイーストウッドのせいだけではないんでしょうけどね、本人主演も務めてますし、少なくともどういう作品にしたいのか?というリーダビリティは彼にあったんでしょうし、そう考えると「イーストウッドは実は西部劇が嫌いなのか?」とうがった見方をついしてしまいそう。
序盤はね、よくあるパターンなんです。
なんか色々ややこしい過去があって、監獄から出所してきたばかりの3人組が街に復讐にやってくる、と。
誰か助けて、とばかり、街の権力者はイーストウッド演じる流れ者に用心棒を頼む。
引き受けた、そのかわり俺の言うとおりにしろよ、と流れ者はあれこれ奇妙な指示を住人に下し始める。
鉄板といえばこれ以上ないぐらい鉄板のパターン。
結末までのおおよその流れがこの時点で全部予測できてしまうぐらいな。
ところがラスト、イーストウッドは仰天のオチを用意して待ち構えてる。
これね、あんまりはっきりとわかりやすい形で種明かしをしてないんで断言はできないんですけど、やってることはほとんどホラーじゃねえかよ!と私は思うわけだ。
いやもう、オチに至るまでの文脈が全然別物じゃないですか、監督!と。
誰が途中までの語り口からこんな結末を予想できたというのか?!という話で。
ぶっちゃけ、あんまり上手じゃないです。
実はこうだったんですよ、ってうすらぼんやりとやられても、違和感と矛盾、オチから想像できる「存在の実効性」に疑問が残るだけで。
割とどうでもいいカットとか、結構あるんですけどね、なにかを示唆しているようで、実はそのどれ一つとしてどこへも有効的に働きかけてないんですよね。
なにを観客に見せたいのか、はっきりとした形で明示できてるものがどこにもない。
またこのエンディングだと、自己保身の果ての醜さが血生臭さい殺し合いの連鎖を生む、としか語りかけてなくて、見事なほどどこにも「救い」がないんです。
なんなんだ、この厭世観というかペシミスティックな冷めきった目線は?と。
どんでん返し系にしたかったのか、それとも単に普通の西部劇をやるのが嫌だったのか、判別のつかない一作ですね。
シナリオを映像化する過程で、本人の意気込みとは裏腹にどこへも目線が定まらなかった一作、といった印象。
上手にやれば西部劇ホラーとして好事家に語り継がれる作品になった気もするんですが、残念。
単に超常を描くのには向いてない、ということなのかもしれませんけどね。