イレブン・ミニッツ

ポーランド/アイルランド 2015
監督、脚本 イエジー・スコリモフスキ

イレブン・ミニッツ

時系列を同じくする14人の男女数組が、それぞれ別の場所で11分間の間に遭遇した出来事を描いた実験的群像劇。

これ、もうちょっと濃密なドラマ性を抱えていたなら初期のイニャリトゥ監督みたいになったんでしょうね、きっと。

バベルとか21gとか。

で、その濃密でない点、それが良くも悪くもこの作品のとっつきにくさを招いてて。

早い話が14人の群像劇そのものがあまりに断片的すぎて恐ろしく退屈なんです。

特に内面を掘り下げるわけでもない、気の利いたセリフ回しがあるわけでもない、どう転ぶんだろう?と期待させるなにかがあるわけでもない。

それぞれが等しく物語の主人公、ってわけじゃないんですね。

言うなればみんな脇役。

脇役が14人集まったところで座が盛り上がるはずもなく。

正直、30分ぐらい経過した時点で私は若干イライラしてきておりました。

だからなんなんだよ、どうだというんだよ、って。

もしやこのままなにも交わらないままオチなしで終わるんじゃなかろうな、と貧乏ゆすりが止まらない状態。

あーまた苦行だったのかよ、と半ば諦念にとらわれだしたのが1時間経過後ぐらい。

もはや体勢は枕を頭の下に、涅槃へと入定せんがごとく目もうつろ。

ところがだ。

混濁しつつあった意識を一瞬で覚醒させ、私を飛び起きさせたのが1時間20分過ぎ。

いや、唸った。

これはもうマジで声が出た。

まさこのような結末が待っていようとは。

あと数分で映画自体が終わる、という段になってこういう着地点を用意してくるとは。

うかつに何か書くとネタバレになってしまうので、もうほんとなにも触れられない状態なんですが、要はこの作品、ストーリーがどうこうじゃないんです。

監督がやりたかったのは偶発性が引き起こすある事象を壮大な前フリでもって脚色することだったんですね。

ほとんどびっくり箱状態。

最後の最後であっといわせるためだけにひたすらすっとぼけてたのかよ、となんか笑ってしまったりも。

ただ、そう考えるとですね、前言をひっくりかえすようですが、1時間20分過ぎの「あの瞬間」を派手に演出せんがための怒涛の退屈さだったのか、と思えてきたりもするんでほんと不思議。

終わってみれば、謎の黒点をシンボリックにオカルトまがいな符号としたのも巧妙に感じられましたし。

なるほど、こういうやり口もあったか、と素直に感心でした。

大きく賛否が分かれそうではありますが、私はこれはこれでありだと思いますね。

あえて物語性を排除することで落とし所とする、という発想は凡百を余裕でおいてけぼりにするものがあるんじゃないでしょうか。

ま、とはいえ、もうちょっとスピード感があったほうが良かったのは確かなんですけどね。

あっ、といわされたんでそこは強く言えないわけではありますが。

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