2008年初版 井上智徳
講談社ヤンマガKC 1~3巻(全26巻)
原子力発電所のメルトダウンにより崩壊した首都東京に、生存者を捜すために送り込まれた陸自所属の女子高生3人組の活躍を描いたSF大作。
「陸自所属の女子高生」などという設定をとても真面目には受け止められない、どう考えても萌え系じゃねえか!と大人の読者なら眉間に皺を寄せそうですが、これがどうしてどうしてなかなかよく出来ている。
女子高生を主役にしたのは、考えるまでもなく男性読者を釣るための餌でしょうが、これが遺伝子操作され放射能に耐性のあるミュータント的存在、となると話は全く変わってくるわけで。
つまり、女子高生であることが若さゆえの特権として機能しない「産まれついての異形」を描いた作品、ともとれるわけです、これって。
しかもその存在は、人を救うため公に奉仕する立場にある、ときては俄然シナリオがどう展開していくのか、興味も増してくる、ってなもの。
原発事故後の世界を緻密にシュミレーションした物語世界の骨格もよくできている。
なぜ女子高生3人は放射能に耐性があるのか、から始まり、放射能に汚染された区域に生き残る人々とはどういう人達であるのか、なにがこのような事態を招いたのか、そして、どう収拾をつけるべきなのか、膨大な資料と取っ組み合いをしたであろう世界観は社会派SFと呼んでもいい深い洞察がある。
少なくとも当時、ほぼ原発に関心をいだいていなかったであろう大勢の読者を、いかにそれが危うい存在であるのか、気づかせる功績はあった、と思います。
残念ながら間に合わなかったわけだけれど。
そう、この作品の不幸は現実が作品世界を追い越して、福島第一原子力発電所の事故を2011年に発生させてしまったことにあるわけです。
作品はちょうど連載真っ只中。
さぞかし作者は描きにくかっただろうし、苦悩したことだろうと推察します。
だって現実は作品以上に残酷で容赦なかったわけだから。
きっと、コッペリオンが居るならさっさと助けにいけよ!なんて口さがないことを言う奴もいたことでしょう。
やっぱり起こり得るかもしれない明日を仮想したSFってね、対比できる平和な今があってこそ警鐘にもなるし、エンターティメントとして楽しむこともできるんであって。
実際に現実がゆらいでしまったら、いかにその作品が優れた内容であろうと、怒りを買うこともあるだろうし、色褪せもする。
それでも完結にまでこぎつけた作者の表現者としての姿勢には本当に頭がさがりますが、リアルに恐怖した身としてはね、やっぱりもうこの設定は楽しめないですよね。
絶対こんな風にはならない、って知ってしまったわけだから。
10年早ければ、とつくづく思います。
きっと、もっと違う受け止められ方があった、と思うんですが、時代に激しくゆさぶられてその色を変えてしまった、ってのが実状でしょうね。
最終的な評価は後世にゆだねられるべきなのかもしれません。