アメリカ 2014
監督 ダーレン・アロノフスキー
脚本 ダーレン・アロノフスキー、アリ・ハンデル
さて私は無宗教、無信心な大馬鹿野郎ですんで、この作品がどれほど聖書に忠実なのか、もしくは聖書との差異になにかを見出そうとしているのか、そのあたりはさっぱりわからないんですけど、通俗的に知られているノアの箱舟のお話と比較するならかなりファンタジックだなあ、と思ったりはしました。
宗教的な堅苦しさ、手厳しさはさほど感じられない。
どちらかというと神話ロマン、って按配。
なんせストーリー序盤で岩石怪獣みたいなのが出てくるんです。
これ、正体は天界を追放された堕天使の落ちぶれた姿なんですが、絵的にはどうみてもハリーポッターか、はたまたロードオブザリングか、ってな感触。
ましてやそいつらが主に人足として箱舟作りに精を出す、ときたもんだから、これ、厳格なプロテスタントの方々がご覧になられたら激昂されるのでは、と思えてくるほど。
結局監督は箱舟を題材にファンタジーをやりたかったのかのかな?と、最初は思ったんですが、シナリオが進むにつれてそうとは言い切れない部分もあれこれ表出してくるのがこの作品の面倒なところでして。
ノアは箱舟の存在を、人類という種を滅亡させるためのツールである、と考えているんですね。
だから子孫を残してはならない、と妄信的に自らを戒める。
娘に子供を産ませるべきか、産ませないべきかが最終的なテーマであり、見どころになっているわけですが、これがもうなんと言いますか、私の感覚的には非常に古臭く感じられるものでして。
根本にあるのは人類と言う種自体が悪である、という思想なんですね。
悪いが70年代かよ、と。
古くからのヒロイックファンタジーにおいて、いかにも悪の親玉がクライマックスシーンで高説かましそうなネタを、なぜわざわざノアの箱舟まで持ち出してきていまさら焼きなおす必要があるのか、私にははなはだ不可解。
それに種を残さないのだとしたらノアの家族自体が箱舟に乗り込む必要性がない、という矛盾も孕んでしまうわけで。
ノアの宿敵、トバル・カインが終盤まで意味なく生き残っていたのもわけがわかりませんし。
キャラを使えてない、としか言い様がない。
つまるところ、ノアの箱舟という神話をどうしたかったのか、それが判然としない。
家族愛みたいなところに着地じゃあ、物語のスケールに比して貧相すぎるし身勝手すぎる、と思うわけです。
アロノフスキーならではの毒、忌々しさみたいなものを期待したんですが、今作に限ってはなにもなかった、と言うのが正直なところですね。
本当に人の根源悪みたいなものを描きたかったのなら、ノアは箱舟の殺戮者、スラッシャーになるべきだった、と思うんですが、そりゃ過激すぎて無理か。
うーん、失敗作だと思います。