イギリス/ルーマニア/フランス/アメリカ 2013
監督 テリー・ギリアム
脚本 パット・ラッシン
ああ、これは近未来SFの形をまとった現実との合わせ鏡だ、と私は思いましたね。
余計な説明は一切排除された不親切な内容で、どこか観念的であったりするんですが、その背景や物語世界をひも解かなくても主人公コーエン・レスの置かれた環境がすべてを暗示している、とでもいいますか。
例えば、コーエンは毎日モニターに向かってなにやら仕事をしているんですけど、その仕事内容については彼自身もよくわかってないんです。
ゼロの定理を100%に、などと意味不明の課題を押し付けられたり。
上司はコーエンを慮るふりを見せながらも彼自身と全く向き合っておらず、名前すら覚えていない始末。
自分の事を我々と呼び、誰からどういう用事でかかってくるのかも定かではないのに、ただ電話を待ち続けるコーエン。
それが人生の重大事である、と言わんばかりに。
誰とも触れ合うことなく、あからさまに言動が病的であるのに、それを正そうとするものもいなければ、指摘するものもいない。
ただ機械的に役目をこなし、無為に日常がすぎていく。
これが比喩であり、アイロニーでなくていったいなんなんだ、と私は思う。
未来世紀ブラジルで近いテーマにギリアムは取り組んでいるように思いますが、今回はシステムに抗うのではなく、システムに使われていることすら肯定し、その内側でくすぶる社会の病巣にメスを入れているように私は感じました。
描かれているのは、閉塞の意味すらわからず選択することもあきらめなにもできなくなっている私達。
それを救うものははたして愛なのか、それともすべての端末からの解放なのか。
ラストシーン、デジタルが合成する美しさとその救いのなさに、私は「残念だけどもう世界は止まらないんだ」と監督が独白しているかのような錯覚を覚えました。
誰もがおもしろい、と思える内容ではなく、とっつきにくさもつきまとうかと思いますが、それでも私はこの作品をギリアム晩年の傑作、と推したい次第。
極彩色で彩られたサイケデリックな街並みや、どう見てもゲームのコントローラーとしか思えない端末、キリストの首の代りにおかれた監視カメラ、レトロとサイバーなデザインが融合したガジェットの数々、とても73歳のアイディアでイマジネーションだとは思えません。
ところどころちょっと笑わせよう、としているのも相変わらずで衰えどころかますます盛ん。
これこそがSFだと私は思います。
なんだかひどく心かき乱されましたね。