1972年初出 ジョージ秋山
小学館文庫 全4巻
作者にしちゃあ珍しい、巨大ロボットもの。
しかしこの手の勧善懲悪な少年SFにおいてすらジョージ秋山節は全開。
こりゃ裏石ノ森章太郎、裏横山光輝と言っても良い作品では、と思います。
本当にカタルシスを得にくいマンガばかりをこの頃のジョージ秋山は描いてるなあ、と。
少年誌で少年達に正義の所在について思考する事を強いたりすれば、こうならざるを得ないか、という気もしますが。
結局ラストの残酷さ、エキセントリックさのみで人々の記憶に残った作品ではないか?という気もしますね。
そもそも主題は全く完遂されてないし、尻切れトンボと言っても良い自爆ぶりですし。
糞虫というとんでもないキャラが強烈なインパクトを残してたりはしますけどね。
この頃のジョージ秋山は、とにかく何かに対して「憤って」たんでしょうね。
それが普通はマンガでは描かないような事まで描かせて、どこまでも露悪的に絶望を誌面に叩きつける結果を招いたのだと思う。
やっかいなのは作者本人の「憤り」に着地点を見いだせぬまま、作品化してしまった事でしょう。
この頃の問題作の数々からなにかを読み取ろう、とする人は多いですが、多分全ての答えは浮遊雲だと私は思います。
浮遊雲に行き着くための試行錯誤、葛藤が作者にとっての70年代だったんじゃないですかね。
まあ決して熱心なファンとは言えない私の勝手な解釈ですけど。
SFといえばSFなんですが、本作は言うなれば「投げかけられた波紋」でしょうね。
至極主観的な「どうして」「なぜ」を提示したに過ぎず、テーマが結実するには後年の別の漫画家の登場を待たねばならなかった。
意味があるとしたらその過激さにおいてきっかけにはなった、ということでしょうね。
銭ゲバやアシュラよりはまだとっつきやすいか、といった感じです。
これがとっつきやすい、というのもすごい話なんですけど。