アメリカ 2015
監督 カリン・クサマ
脚本 フィル・ヘイ、マット・マンフレディ

長い間音信不通だった旧友のホームパーティに参加した男女8人の戦慄なパーティーエンドを描いたスリラー。
序盤における、まともなのは主人公なのか、それとも主催者側の女なのか、一向に真相をほのめかしてくれない不穏なやりとりはなかなかの緊張感でしたね。
どうも女は自己啓発セミナーだか、グループセラピーだかよくわからないものにかぶれてるらしい。
でもそれが今回の集まりを「おかしい」と疑うほどのものとは思えない。
一人、パーティに奇妙な違和感を感じて情緒不安定な主人公。
過去の風景なんかもフラッシュバックさせながら、少しづつささいなほころびを積み上げていく手管は中だるみしがちな密室劇において観客を飽きさせないテクニックがあったように思います。
むしろ主人公のほうがおかしいんじゃねえ?と感じさせる部分と、いや、やっぱりこのパーティはどこかおかしいと感じさせる部分、それがちょうど均衡を保ってるんです。
オチへの誘導の仕方は人間関係の描き方のうまさも支えとなって、嫌が応にも期待を高めるものでしたね。
で、肝心のオチなんですが、これがね、個人的にはちょっとどうなんだろうと。
ストーリーラインを振り返るなら、そのアプローチ、スタンスはやはりサスペンスであり、ミステリの系譜をなぞるものだったと私は思うんです。
伏線を回収して最後に予想外の事実を提示するタイプの。
私の感覚では、監督はそれらすべてを放棄して全く別のところからただショッキングなだけのひっくり返しを持ち込んできたように思えた。
なんか違うんですよね。
落とし所となる場所に規格外のものをむりやりねじ込んでとりあえず穴は塞いでおきました、みたいな。
いやいやそこにはめ込むべきは別のものでしょう、って。
実際、回収されてないお膳立て、布石みたいなものはいくつか放置されたままです。
オープニングのコヨーテはいったいなんだったんだよ、って。
ああ、こりゃダメだ、と正直終盤で意気消沈。
私の期待感を返してくれ、ってなもんです。
ところが、です。
ラストシーン、予想外の光景を監督は用意してきます。
えっ、これってインドアな内輪もめじゃなくてマクロな話だったの?とびっくり。
そこはもー、本当に詳しくは書けないわけですが。
どう評価していいものやら悩みますね。
視点を最後、別の位相へシフトさせたやり口は物語の色をガラリと変える意味で秀逸だった、と思うんですが、そこに至るまでの道筋に不備、違和感を感じる、とでもいいますか。
ボタンのかけ違えなのか、それともあえてジャンルを縦断したかったのか、怪作、とまとめてしまうのが楽でいい感じ。
一部の映画祭で評価されたのもわからなくはないですが、まあ、意外性のみを求める分には悪くないかも、といったところでしょうか。