2024 日本/台湾
監督、脚本 片山慎三

現実と虚構を行き来する幻想的な作品ながら、最後には破綻なくまとまるという奇跡的一作
つげ義春の同タイトルの短編を映画化した作品。
とはいえ原作短編が使われているのは序盤の数分だけで、物語は「雨の中の慾情」を描いたつげ義春本人の日常を追う形で進行していきます。
ま、そりゃそうだろうなあ、とは思う。
原作短編を私は読んだことあるんですが、とてもじゃないですが2時間近くの尺を埋められるような代物ではないです。
なんせ、バス停で偶然居合わせた女が落雷におびえるのをいいことに「金属に雷は落ちるから服を脱ぎなさい」と言いくるめて下着姿にさせ、そのまま強引に田んぼで性交に及ぶ男の話ですからね、昭和の安っぽいポルノでもそんなわけのわからんネタ採用しねえわ、って。
つげ義春には熱心な固定ファンがいるんで「雨の中の慾情」も一般的な理解が及ばぬところで独自の評価がなされてるんでしょうけど、私にいわせりゃ「なんだこれ?」としか言いようのない一作でしかなくて。
そもそもつげ義春があんまり好きじゃない、というのもあって。
おそらくマンガ好きな人たちの間でもつげファンって、かなりニッチな部類だと思うんですね。
じゃなきゃつげ義春の本はもっと売れてるだろうし、作者本人が生活に困窮するようなこともなかったはずで。
で、監督がすごかったのは、そんなつげ義春の短編「雨の中の慾情」を箸にも棒にもひっかからぬもの、と作中で暗に示唆していたこと。
つげ義春の漫画世界にどっぷり足を突っ込むんじゃなくて、つげという売れない漫画家を俯瞰することで物語を編んでいくんですよね。
描かれてるのは社会の底辺で、浮かび上がるすべも持たずに右往左往するダメな大人たちの姿。
なのでタイトル「雨の中の慾情」は単なる釣り餌でしかなく、実際はオリジナル脚本と言ってもいいのかもしれない。
ただ、ほぼオリジナルとはいえ、やってることは、つげ義春が過去に発表した「自身が体験したことを反映させた自伝的作品」に近い空気感があって。
本作、つげ作品を突き放すそぶりを見せつつも、物語はつげ義春の作品世界そのもの、という不思議なパラドックスを成り立たせてるんですよね。
これって、つげの物語世界を監督基準(世間的、一般的な尺度と言ってもいいかも)で再構成することに他ならないのでは、と思うんです。
実はつげ義春って、こういうアプローチの仕方をすればもっと違った解釈が成り立つのでは?みたいな。
それが見事結実したのが終盤。
このままどこまでが本当なのかわからない感じで終わるのかな?と思ってたら、とんでもない展開が待ち受けてて。
そっちへ駒を進めるのか!みたいな。
そこからの進行は怒涛ででしたね。
特に私が凄いと思ったのが、各場面がシームレスに次の場面へと移り変わる際の演出。
田んぼにうずくまる主人公の周りに虫が集まって集団で舞ったかと思えば、次の瞬間にはそれが戦闘機に姿を変えてたりするんですよ。
夢なのか現実なのかわからないシュールな世界同士をこんな形でつないでいくのか、と。
まったくジャンルが違う映画ですが、ふいにバードマン(2014)を思い出したり。
また、小さな符号がいちいち合致するんですよ、あ、これは前半のあの場面だ、これはさっきの小道具だ、みたいに。
混沌と、リアルと虚構を行き来しながらも、それが独りよがりで実験的に映らない、というとんでもない離れ業を監督は形にしてて。
ラスト、物語は、とても小さなエピソードとして数年後には忘れ去られてしまうような哀しみを種明かしとして集約します。
いやもう圧巻、でしたね。
132分も納得の濃密さであり、映像美。
この手のシュールで幻想的な映画を、結局わかってるのは監督だけ、みたいな形で観客に投げてしまわずに、きちんと物語として組み立てた稀有な一作だと思います。
つげ義春もこうすればアングラじゃなくなる、のもっともたる例とでもいうか。
もしつげがこれをやれてたら間違いなく伝説になってたでしょうね(今でも生きる伝説か)。
今のところ、今年みた日本映画のベスト1。
傑作だと思います。
よくぞこの内容で破綻せずまとめあげた。
余談ですが竹中直人のキャスティングはわざと?
無能の人(1991)が好きだったのか?監督?
ねじレート 96/100

