イギリス/アメリカ 2018
監督 ブライアン・シンガー
脚本 アンソニー・マクカーテン

さあ、困った。
いやもう本当に困った。
全世界で大ヒット、アカデミー賞4部門受賞、日本においては社会現象になりうる勢いでヒットしたこの映画、つまらないなんてことはあろうはずもないわけである。
ええ、あたしゃ見る前からハンカチ用意しましたとも。
トイレも済ませた、一音たりとも聞き逃すまいとヘッドホンも装着、邪魔が入らぬようにインターホンのスイッチも携帯の電源もオフにした。
さあこい、準備は万端だ。
舐めるように味わい尽くしてやるから、いやマジで。
なのに、だ。
ああ、どうしてなのか、なにゆえなのか。
あんまり面白くない・・・・。
見れば見るほど高ぶった気持ちが弛緩していく序盤から中盤、後半に至っては「この映画何分あったんだっけ?」と時計を見たりと、気もそぞろ。
先に謝っておきます。
ごめんなさい。
この作品にひどく感銘を受けた人は決してこの先を読まぬこと。
ここから書くことは、個人の私的な感想であり、偏屈極まるニッチな趣味のおっさんが垂れ流す世迷い言にすぎませんから。
ま、このブログそのものが全部そうだ、と言えばそうなんだけれど。
そりゃいいか。
だって怖いもの、ここまで売れた映画を否定するとか。
閲覧者の皆様方はどうか寛大な心で接して下ることを祈りつつ。
で、見終わって考えてみたわけです。
何がダメだったんだろうと。
やっぱりね、伝記映画としちゃあひどく表層的なんです、この作品。
海外じゃあ批評家連中がすでに指摘済みなようですけどね。
QUEENの成り立ちからフレディの死までをかいつまんで説明してみました、みたいな感触が非常に強い。
全く掘り下げないんです。
例えばゾロアスター教の信者である父親とフレディの確執。
ゾロアスター教自体に馴染みがない、というのもあるのかもしれませんが、そもそも父は何をフレディに期待していて、フレディは何に反発していたのか、その背景が全く見えてこない。
だって親父、善き行いをしなさい、みたいなどの宗教にも共通することしか言わないんですよ。
そこにあるのは「フレディは反抗的でした」という事実だけ。
とかく、一事が万事その調子でして。
フレディがバンドのメンバーと仲違いし自暴自棄になっていった転落の心理もよくわからなければ、大事なテーマであるバイセクシャルとしての苦悩も箇条書きを列挙していくように並べ立てていくだけ。
特に私にとって一番決定的だったのは、メンバーにエイズであることを告白するシーンですかね。
およそエイズの知識も広く伝わって居なかったであろう時代に「エイズなんだ」「そうなのか・・・」と、短いやり取りを経て、メンバーはフレディを囲んで強く肩を抱き合うんですよ。
これはマジでありえない、と思った。
映画の設定ではライヴ・エイド前にフレディが告白したことになってますが、だとしたら85年以前、日本で初めて患者が発見されて、接触感染するだの流言飛語が飛び交ってた時代です。
普通は躊躇するだろう?って話ですよ。
少なくともエイズという病気について質問しないか?と私は思うわけです。
だって怖いですよね、いくら家族たるバンドメンバーとはいえ、未知の病気を患ってる本人が目の前にいたら。
同じく83年にエイズでなくなったクラウス・ノミというイギリスで活動していたミュージシャンがいるんですが、彼なんてカミングアウトした途端、周りの連中が一切近寄らなくなって誰も病院に見舞いすらこなかったらしいですから。
最後まで付き添ったのは恋人ただひとり。
なぜ、ほんの一瞬でいいから、メンバーが戸惑うなり、慌てる場面を演出できなかったのか、と。
事実を改変するのはかまわないんです。
過去にあったことをそのまま忠実に再現して評価を得るのはドキュメンタリーであって、映画ではないと私は思いますし。
けど、それならそれでデティールなり、現実味にもう少しこだわってくれよ、と。
おいしいところだけチョイスして見栄え良く飾ったところで、食べてみて美味しくなきゃ意味ないだろうよ、って。
あと、非常に高い評価を得ている主演のラミ・マレックが、私にはフレディの貧相な劣化版にしか見えなかったことも痛かった。
演技じゃないんです。
あくまで見てくれ、佇まいの話。
手厳しい事を言うようですが、ラミ・マレック、恐ろしいまでの精度を誇るものまね芸人としては成立していても、作中におけるロックスターとしての存在感がどうにも希薄なんですよね。
ステージに立つことで、ミュージシャンはスイッチが切り替わるものなんです。
特にフロントマンはそう。
彼の場合、楽屋もプライベートもステージも全部同じフレディなんです。
ギアが変速しない。
それって、クリカンのルパンはルパンじゃねえ!と駄々をこねてるようなもの、と言われてしまうかもしれませんが、私が指摘したいのは、山田康雄の模倣ではなく、彼なりのルパンを構築しなかったことが一番の問題なんだ、ってことなんです。
ラミのフレディじゃなくて、フレディのラミ、なんですよね。
ただ、そんな私もエンディングのライブシーンの爆発力にはいささか恐れ入った。
積み上げてきたものが全く無いのに、あやうく感動しそうになった。
けど、それも冷静に考えてみたら楽曲の持つ魔力が素晴らしいのであって、演者やパフォーマンスの力ではないよなあ、とふと気づく。
ファミリー層、およびライトなQUEENファン向けの一作、というのが私の結論。
フレディという稀有なロックスターの人生をどこまで赤裸々に語ってくれるんだろう・・・と期待したのがそもそもの間違いといえば間違いでした。
私の求めるものはここにはなかったですね、残念。