SOFT MACHINE

SOFT MACHINE

CARAVANとともにカンタベリー系の音を形作ったバンドとして有名なグループですが、まあ、ぶっちゃけカンタベリー系って、私はあんまり好きじゃなくて。

この抑揚のなさはいったいなんなんだ?と聞いてて眠気に襲われちゃうんですよね。

そもそもジャズに精通してないし、門外漢であることも大きく影響してるとは思うんですが、それでもCHICK COREAやMAHAVISHNU ORCHESTRAはアルバムをおかずに丼飯何杯でもお代わりできるぐらい大好きなんで、多分好みもあるんでしょう。

きっとインプロヴィゼーションに重きをおいた先鋭的なフリージャズが私は理解できないんだと思います。

ある程度、スコアとアンサンブルを重視してくれないことにはなにをとっかかりにすればいいのか、ほんとわからなくて。

ただ、自分がそういうタイプのリスナーなのだな、と理解するのにもやっぱりプロセスは必要なわけです。

いきなりぽんとジャズ聞かされてフリーもスタンダードもクソもないですし。

例えるなら、全くロックを知らない人にストーンズやツェッペリンを聞かせたところで返ってくる反応は多分「なんかうるさい」だと思うんですよ。

なにが違うのか、なにをうるさいと感じているのか?を知るためには「基点となるもの」が必要なわけで。

そういう意味で、私にとってSOFT MACHINEは、最初のとっかかり、基点になるバンドではありましたね。

私にとって衝撃的だったのは70年に発表された「3」。

ロックなんだけどジャズ。

あきらかにこれまで聞いてきたものとなにか毛色がちがう。

でもなにが違うのか、当時の私の貧弱な音楽脳では明確に指摘することが出来なくて。

後にこのアルバムがジャズ・ロックの先鞭たる1枚として評価されていることを知る。

今改めて聞くと幾分泥臭さもあったりするんですけどね、まだ見ぬものを形にする、という意味でまさにこれはプログレだと思いますね。

完成型じゃないんですけど、おぼろげな理想像、音楽的指標を懸命に手繰り寄せたらどこにもないものが原石のまま産み落とされてた、みたいな。

願わくばこの指向性のまま次のアルバムを制作してほしかったし、もしそうなら「3」以上のとんでもないものが出来上がってた気がするんですが、残念ながらメンバー入れ替えを経て、音楽性は変遷。

バンドは「4」「5」「6」とアルバムを重ねていくんですが、私はもうついていけなくなりました。

フリージャズに傾倒しちゃったんですよね。

「7」ぐらいから時代を反映してか、徐々にフュージョン化が進行し始めて、8作目たる「Bundles」ではギタリストにアラン・ホールズワースが参加、もう、ジャズ・ロックでもなんでもなくて普通にフュージョン。

まあ、ホールズワースなんで超絶技巧なんですけどね。

このアルバムを最高傑作と呼ぶ人も居ますね。

ただ、 個人的にはこれをSOFT MACHINEと呼んでいいものなのか?と少し思ったり。

メンバーの変遷が激しすぎてさっぱり実態のつかめないバンドではありますが、私にとってのSOFT MACHINEはワイアット、ホッパー、ディーン、ラトリッジが火花を散らしていた頃、ですかね。

ジャズ・ロックってなんだ?という人に是非おすすめしたいバンドではありますね。

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