アメリカ 2019
監督 ケビン・コルシュ、デニス・ウッドマイヤー
原作 スティーブン・キング
埋葬した動物が何故か一夜にして蘇る呪われた墓に、人間を埋めてみたら人間も蘇って大変なことになった、ってなホラー。
最初にキングの原作を映画化したのは1989年で、当時はチープだとか、B級だとか酷評も目立ったんですけど「報われれぬことを知りながらも禁断の行為に手を染めざるを得なかった男の哀れさ」を描いた秀作として、私はオリジナル版を高く評価してて。
このラストシーンは今見ても鮮烈だと思うんですよ。
愛することの盲目さ、愚かさを、見事数分間のシークエンスですべて表現しきってる、と私は思ってまして。
再映像化するなら、このラストシーンをどうするのか?といった議題を避けて通ることはできない。
逆に言うなら、あのラストシーンこそが肝であり、詰みの一手だったわけですから。
はっきり言って、物語を構成するそれ以外の要素に、ホラーとしての新鮮味や面白さはさほど無い。
「その墓地に埋めときゃ死んだものが蘇る」って、地方の民間伝承レベルの昔話でしかないですしね。
今どき、都市伝説にもなりゃあしない。
「地元の年寄は信じてるみたいだから、話を合わせとけ!」レベルの安い怪異譚ですよ。
私は原作読んでないのでわからないんですが、おそらくキングの小説だったからこそ安っぽさも説得力に化けたんであって。
これを映画でやろうと思うなら、なぜ死者が蘇るのかを多角的に掘り下げて、物語に別の顔をもたせるか、オリジナル版のように愛憎劇に主眼をおいた作劇にするしかない。
で、2019年度版ですが、監督はオリジナル版に一瞥もくれず、さりとてなにか新しい解釈を盛り込んだわけでもない、というなんとも中途半端な仕上がりでもって我々のご機嫌を伺いにきやがりましたね。
ま、呪われた墓場の映像とかね、想像してた以上に不気味で期待させるものはあったんです。
けど、後半のストーリーライティングがお話にならない。
死んだ→蘇った→死んだ→蘇った、の繰り返しで、気がつきゃ家族総倒れ、こりゃもう止まらんわ、って、パンデミックかよ!って話であって。
誰がこの物語にゾンビ映画や吸血鬼映画のような、連鎖する恐怖を求めたか?と。
姿形はまるで変わらねど、中身は異形でしかない人モドキに対する深い悲しみや、絶望を是認する愛の狂気こそがストーリーの核とならねばならないはずなのに、蘇った我が子は早々とダミアン(オーメンの主人公の子役のことね)扱いなんですもん。
監督、二人も居ながらなにもわかっちゃおらん、と憤慨した次第。
オリジナル版を知らない人にとっては、これはこれで楽しめるのかもしれませんが、私にはあえてリメイクしただけの理由が見いだせなかったですね。
残念、凡庸としか言えない。
ちなみに両監督の劇場デビュー作。
これも酷評してるな、私・・・。