残された者-北の極地-

アイスランド 2018
監督 ジョー・ペナ
脚本 ジョー・ペナ、ライアン・モリソン

残された者 -北の極地-

飛行機事故で北極に取り残された主人公オヴァガードの、孤独な極限生活を描いたサバイバル映画。

基本、セリフらしいセリフはありません。

あってもせいぜい独白なんで。

そういう意味では近年公開されたロバート・レッドフォードのオール・イズ・ロスト(2013)とよく似てる、と言えるかもしれません。

なんせ主演がマッツ・ミケルセンですから。

その存在感、演技力に文句のつけようもなく。

彼の姿を追ってるだけであっという間に97分過ぎてしまうのは確かなんですけど、なんでしょう、なんだか微妙に盛り上がらない、というのはどこかにあって。

デティールに拘ってるのはわかるし、極寒地で一人生き延びるというのはどういうことなのか、きちんとシュミレーションしてるのも伝わってくるんですが、ちょっとね、シナリオ進行に無理がないか?と私なんかは思ったりした。

だってね、主人公、明日を生きて迎えられる保証なんてどこにもない状態で日々を過ごしてるんですよ。

ただ救助を待って、限られた食料で命をつなぐ毎日。

なんせ火を起こすことさえできない、という設定ですから(ライターがない)。

私なら間違いなく数日で精神やられる自信がある。

なのに主人公オヴァガード、付近に墜落してきたヘリコプターの乗務員を救助し、あまつさえ二人して、治療が可能な場所まで雪中を行軍しようとするんですね。

ヘリの乗務員、墜落時の怪我で意識がありません。

つまり、オヴァガードがソリに怪我人を載せて、凍てついた雪の大地を人力で引っ張っていくしか無い。

自殺行為というのはこういう行動のことを言う。

二人して共倒れな可能性のほうが高いわけですから。

いったいどういう聖人君子で人格者で勇気あふれる命知らずなんだ、という話ですよ。

これが自分の嫁とか、子供の命がかかってる、というならまだわかる。

ヘリの乗務員、赤の他人ですし。

常識的な判断として、現状でできることをやって、あとは変わらず救助を待つのが最善の策だろう、と。

ヘリが遭難したことは必ず公的機関に伝わるはずですしね。

ろくな食べ物もないのに何十キロも離れた場所へ極寒の中、歩いて出かけますよ、って、お前はいったいどこのスタローンでシュワルツェネッガーなんだ、と。

なんかもう自分を罰しているのか?これは贖罪なのか?ってレベルなんですよね。

しかも主人公、道中で自分の不甲斐なさや裏切りを激しく責めたりもする。

ほとんど宗教映画の体です。

なんの信仰も持たぬ私がそんなのに共感できるはずもなくて。

いや、別に教義とか、教えとか、作中では一切でてこないんですけどね、ストーリーがそうなっちゃってるから。

なぜ、ヘリの乗務員を意識不明にしちゃったのか、と思いますね。

もし乗務員が、体が動かなくとも話すことができたなら、オヴァガードの行動に動機づけすることも、死を賭けたドラマを劇的に演出することも可能だったと思うんですよ。

現状、恐るべき博愛精神を発揮する仏のような男の、常軌を逸した行動を描いた作品になっちゃってる。

オール・イズ・ロストが、最後まで一人芝居を貫いた理由が何となくわかる気がしますね。

それはそれで難易度高い作業だとは思うんですけどね。

サバイバルとヒューマニズムを同時に描こうとして現実離れしてしてしまった映画、というのが結論。

私は途中で冷めてしまいましたね。

マッツが熱演だっただけにもったいない。

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