ハウス・ジャック・ビルト

ハウス・ジャック・ビルト

デンマーク/フランス/スウェーデン 2018
監督、脚本 ラース・フォン・トリアー

思ってた以上に球筋の素直なシリアルキラーものでしたね。

いや、なんせトリアーだから。

露悪的かつ鬱屈とした嫌らしさで、ものすごく後味の悪いオチへとリードするんだろうなあ、いやだなあ、と思ってたんですが、そうでもなかった。

雑に類別するなら、これまでに発表されたあまたの殺人鬼ものとそれほど大きな差異はない。

殺人鬼である主人公の主観で物語が進んでいくのが胸糞ではあるんですが、まあ、それがとりたてて珍しいってほどでもないですし。

何故か会話形式のモノローグが随時挿入されてて、誰と話してるんだ?と疑問だったりはするんですが、これ、順当に考えるなら終盤に登場するヴァージとの会話、ということなんだろうな、と。

多重人格者であるとか、その手のありきたりな設定ではないでしょうね。

カンヌ上映時、途中退席者が100人を超えたと話題になりましたが、私の感覚からするなら「そこまでエグかったか?」って感じ。

ホラー擦れしすぎちゃって、感覚が麻痺してるのかもしれませんが、グロさに辟易するほどの描写はなかった気がしますね。

北米公開版及び国内メディアではいくつかのシーンがカットされてるらしいですが、それを斟酌したとしてもそれなりの抑制は効いてるように私は思います。

ただ、会話形式で主人公の内面をどんどん掘り下げていくのがなにかと疲れる、ってのはありましたね。

エスカレートしていく連続殺人と、完全にぶっ壊れた男の病的な心理を延々2時間以上も見せつけられたらしんどくなってくるのは当たり前で。

このくどさというか、しつこさは監督ならではだと思いますね。

過激すぎて嫌になるんじゃなくて、食傷しちゃうんですよね。

もう殺人に継ぐ殺人はうんざり、みたいな。

それで退席した、ってのなら、わからなくもない。

意外だったのは、これまでのトリアーになく「遊び」があったこと。

ユーモアの域にまでは達してないと思うんですが、暗鬱さをふいにそらす場面展開がある。

あら、多少はエンターティメントを意識したのかしら、と。

わかんないですけど。

オチもひどくフラストレーションが溜まったり、どん底に突き落とされたりするパターンのものではなくて。

ちゃんと報いが待ってる。

で、私が評価したいのは、報いそのものを即物的に描くのではなく、主人公の内面に訪れた変化として、最後に世界そのものを変転させてみせたことですかね。

ここで現実から飛躍するのか、とちょっと唸った。

もうね、冒険の旅にでも出ちゃいそうな按配なんですよ。

殺人鬼の末路をこういう形で映像にした作品、ってちょっとなかったような気がしますね。

わかりやすいラストシーンも今回に限っては良かったんじゃないか?と思います。

これで最後にまた一捻りあったりしようもんなら体調くずしかねん。

トリアー本人は「誰でもシリアルキラーになりうる」だの「ジャックは私自身でもある」だの、煙に巻くようなこと言ってますが、私は意外と娯楽作を意識したのでは?という気もしてますね。

はっきり言って好かない監督ですが、今作に限ってはそれなりに楽しめた、といったところでしょうか。

余談ですが、最後にジャックが完成させた「家」はあたかも70年代のアニメ、ドロロン閻魔くんの「アレ」のようだ。

行き先も同じ、ってか。

わかる人だけほくそ笑んでくださいまし。

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