アイスランド/フランス/ウクライナ 2018
監督 ベネディクト・エルリングソン
脚本 ベネディクト・エルリングソン、オラフル・エギルソン
過激な環境活動家であるという裏の顔を持つ壮年の女の、養子を受け入れるまでの数日間を描いた人間ドラマ。
さて主人公の女はなぜ環境活動家として活動するに至ったのか、そしてなぜ養子を貰い受けることを切望しているのか、詳しい説明は一切作中でなされません。
オープニング早々、いきなり地元のアルミニウム工場へと伝う送電線にワイヤーを引っ掛けて、電力の供給を停止させるという実力行使でもって女は自らのスタンスをアピール。
アルミ工場、なにやら中国企業とかも一枚噛んでる大事業っぽいんですが、女はこの工場が操業することで環境が汚染される、と頑なに信じ込んでるんですね。
上述したように、もちろんなんの証拠もデータも根拠もソースも提示されません。
というか、これもう完全にテロ。
実際、警察が血眼になって犯人を探してたりする。
最終的には軍事技術すら稼働させて、ドローンや衛星で犯人を特定しようと政府までが動き出す始末。
いやいやお前はグリーンピースか!と。
捕鯨をせこい実力行使で妨害する輩なのか、と。
もうね、全然共感できないです。
とりあえず落ち着け、と。
あんた、養女を迎えるというのに、警察を欺きながら破壊活動に勤しんでる場合じゃねえだろ、と。
周りにわずかながらの協力者がいるんで、事実無根な感情的暴力行為というわけじゃないんでしょうけど、まー見ててイライラすることこの上ない。
そんなヤクザの嫌がらせみたいなやり方で国家事業が止まるわきゃないだろ!と説教してやりたくて仕方がない。
一体この物語はどこへ向かおうとしてるのか、全く先が読めない。
落とし所が存在するのか?と不安になってくるほどに。
小さなユーモアを織り交ぜながら、ストーリーは女の凶行を描写することに主眼をおいてじりじりと終盤まで突き進みます。
突然お話が動き出すのはエンディング間近。
なるほど、だから主人公の女は双子という設定だったのか、と膝を打つも、悪びれること無くしゃあしゃあと養女を迎えに行く女に再びイラッとする私。
そして迎えたラストシーン。
これね、私は「三分の理」という言葉を思い出したりしましたね。
誰のための破壊活動だったのか、これを絵だけで見事饒舌に監督は語りきってる、と感心。
女を肯定するつもりはさらさらありません。
けれどもなにが正しくてなにが間違っているのか、幼子を前にして絶対的な正解を得意げに語るほど我々大人は傲岸不遜であってはならない。
最後のワンシーンにすべてを集約させて合理性を構築したという意味において、本作は正義の不確かさを思わぬ角度から射抜いてると思いますね。
変な映画だなあ、と思う人もたくさんおられることだろうと思いますが、見る価値は充分にあると私は思います。
迷ったときは手にとってみてもいいんじゃないですかね。
やきもきする映画ですけどね。