甘い生活

イタリア/フランス 1959
監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ、ブルネッロ・ロンディ

ゴシップ記者、マルチェロの狂騒的で乱痴気な日々を断片的に描いた風変わりな作品。

いや、風変わりと思ってるのは実は私だけで、識者の皆様方はきっとまるで違う見方をされてるんでしょうけど、これねえ、185分という長丁場を頑張ってクリアして最初に思ったのは「なんだこれ?」でして。

難解だとか意味がわからんとか実験的だとかいうことじゃないんです。

それぞれのエピソードがエンディングに向かって収束していかない、関わり合っていかないんですよね。

大きく分けて、6つか7つぐらいのシークエンスで映画は成立してるんですが、そこに物語性がないんです。

いわゆる布石だとか、伏線みたいなものはほぼ見当たらない。

かろうじて友人スタイナーの驚きの行為が主人公の内面にひどく傷を残したことだけは理解できるし、それがエンディングに意味をもたせていることはわかるんですが、そこ以外がもう本当に「起こったこと」を羅列してるだけのような状況でして。

物語の解体を試みた、と結論づけちゃうのが楽でいい感じですが、それがなにを導いているのかがわかんないものでほんとどうしてよいやら。

至極単純に、面白かったのか?と問われると、やっぱり答えに窮してしまう自分がいる。

私の中にこれを楽しめる感性が備わっていないことだけは確か。

部分的にね、はっと目を引くシーンや、顛末が気になる挿話があったりはするんです。

そこはさすがフェリーニだと思う。

でも総体的に、この映画がなんだったのか、語る言葉を私は持ち合わせていない。

初上映時、好意的な感想はほとんどなかったというのがよくわかりますね。

のちのち評価がうなぎのぼりに高まって、パルムドール賞を受賞するんですが、つまるところ解釈には時間がかかるということなのかもしれません。

わかる人にしかわからない例えで恐縮なんですが、なんとなくレッド・ツェッペリンのフィジカル・グラフィティを初めて聞いたときのような戸惑いと居心地の悪さを私は感じました。

この作品を「最高の映画」と表する人もちょくちょく見かけますが、私の感覚では初監督作にしてすでに完成していたフェリーニが、次の方法論を模索しようとした過渡期の作品、といった印象。

答えは次作、8 1/2(1963)にあるような気がしてなりません。

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