アメリカ 2018
監督 ピーター・ファレリー
脚本 ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・カリー、ピーター・ファレリー
実在した黒人天才ピアニスト、ドン・シャーリーと、彼の南部ツアーに同行した運転手トニー・リップの人種や立場を超えた心の交流を描いた作品。
ここ数年、黒人差別問題を真正面から扱った映画がハリウッドでも大きく取沙汰されるようになってきましたが、じゃあこれもそうなのか?というと微妙にタッチが違うかな、というのが私の感触。
もちろん今でも根強く有色人種差別が残るアメリカ南部での60年代の物語ですんで、露骨な差別は作中でも強く問題視されてますが、主題はもう少しミニマムでパーソナルな気もしますね。
なんせ主人公のドン・シャーリー、黒人とはいえ社会的にはもう成功してるんです。
カーネギー・ホールの2階に住む大金持ちで、ハイソな白人たちがこぞって彼の演奏を聞きたがる。
一方、運転手のトニーはどちらかといえばあまり豊かに暮らしているとは言えない粗暴な男。
バーの用心棒を努めていたが、トラブルでその仕事を失い職探しに奔走しているような状態。
虐げられた貧しい黒人と、搾取、使役する豊かな白人、という構図じゃないんですね。
むしろ社会的な地位だけに着目するなら逆転している、とも言える。
ただし、この逆転は、雇い主と雇用者の関係を正常に導かない。
トニーは黒人の使ったコップをゴミ箱に捨ててしまうほどの差別主義者だし、ドン・シャーリーは不出生の天才と言われながらも黒人であるがゆえ、クラシックの世界で名を挙げることができない。
両者が本当に望んでいるものはなんなのか、そして南部へのツアーは二人の関係性にどう影響を及ぼすのか?が大筋での見どころですかね。
興味深かったのは、成功者であるはずのドン・シャーリーが、白人にもてはやされながらも実生活ではひどい差別にさらされていたこと。
演奏会は満員なんですよ。
けれど楽屋は黒人だから、という理由で物置、食事はレストランで白人との相席を許されない。
自らのセクシャリティの問題もあって、ドンは半ばアイデンティティ・クライシスな精神状態に置かれていたりするんですね。
そんなドンを目の当たりにして、トニーは何を感じ、どう彼と接していくのか。
これね、実話ベースなせいもあってか、若干トニーの心情の移り変わりを細やかに追いきれてない部分もあるんですが、必要だったのは大きな社会的変革ではなく、差し伸べられたたった一本の手だった、と考えるなら2時間の長丁場も決して退屈には感じられないと思います。
根本的な解決には至ってないんで、なんとなくすっきりしないところもあったりするんですけどね、それも終盤のバーにおける演奏シーンがすべて帳消しにしてる、と言っていいかもしれない。
ちょっと専門的な話になりますが、クラシックをあきらめたドンがね、バーのピアノでショパンを弾くんですよ。
これがもう、とんでもない超絶技巧なんですけど、どことなくブルージーというか、ブラックミュージックっぽいアレンジがなされてるんですね。
これこそが答えだよ、と言わんばかりに。
すごい演出をやらかしやがるな、と。
これが監督の計画的な作為だったとするなら脱帽する他ない。
ていうか、誰が音楽を監修してるんだ、とマジであたしゃ腰抜かした。
エンディングも感動的です。
ほんとうにささやかで、大げさなことなんかじゃないんだけど、一皮むけたトニーの歓待と、意固地さを脱ぎ捨てたドンの小さな勇気が胸を打ちます。
なんとなく最強のふたり(2011)を思い出したりしましたね。
どちらかといえばドン・シャーリーの伝記的映画と言ったほうが的確かもしれませんね。
ピアニストの孤高の向こう側を、差別問題を絡めて描いた秀作だと思います。
余談だがヴィゴ・モーテンセンは役柄のために太ったんでしょうかね?
腹が・・・。
こういう役をやらしたら相変わらずかっこいいのは間違いないんですけど。