韓国 2005
監督、脚本 キム・ギドク

弓

海に浮かぶ古びた船で、釣り船業を営みながら暮らす老人と少女を描いた作品。

この二人が特異なのは、お互い血がつながっていない間柄だというのに生活を共にしているという点。

もともとはじじいが一人で船上生活をしていたっぽいんですが、ある日突然少女を連れ帰ってきて監禁同様に育て始めた、というのだからちょっとおだやかじゃない。

細かな事情はわかりませんが、普通に考えて略取誘拐。

アメリカだったらもう一生刑務所から出てこれないぐらいの重罪だ。

で、不思議なのは釣り船に訪れる釣り客たちが、それを知っていながら通報する気配をまるで見せないところ。

韓国に警察は居ないのか、って話なわけだ。

んで、さらにやばいのが、じじい、娘が17歳になったら自分と結婚させる予定でいること。

親代わりじゃないんです。

半ば隠遁生活を送る自分の伴侶にするために少女を育ててるんですね。

じじいの日課は少女が17歳の誕生日を迎える日まで、カレンダーにバツ印を書き込んでいくこと。

意味なく几帳面なド変態野郎に立ちくらみを覚えたのは、きっと私だけではあるまい。

なんだこれ、サイコな倒錯じじいの歪んだ性を描いたドラマなのか?と胸が悪くなりそうになること数度。

また肝心の少女が吊り橋効果なのか、刷り込みなのか、それを疑問に思ってない風なのがなんとも救われなくて。

じじいに絶大なる信頼を寄せてるんですね。

そんな気味の悪い均衡を打ち破るのが、偶然客として船に訪れた一人の青年。

少女のハートを奪っちゃいます。

あれ、私なんかおかしいかも、と少女は気づいちゃうんですね。

さてじじいと少女はどうなっちゃうのか、青年は少女を救えるのか?が物語の見どころなわけですが、えー結論から言っちゃうなら「なんだこれ?!」というオチをもってストーリーは結末を迎えます。

これをどう解釈すべきか、一番簡単なのは『神話である』と納得することでしょうね。

そうすると「弓」がなにを暗示しているのかもおのずと紐解けてくる。

ただね、神話なら神話なりの体裁を整えるべきだと私は思ってて。

神話世界の奔放なる性、もしくはその本質を物語に忍ばせたいのであれば、現代社会を成立させているルールを頭から無視するようなシナリオ作りは、かえって逆効果な気がするんですね。

状況そのものが社会と接点を持った時点で破綻するのが当たり前なのに、それをなんとなく大丈夫なままやりすごしてた、ってのはあまりに出来過ぎだし、つっこむ隙を与えてるだけ。

青年の無力さも、頭が悪いのか?と思えてくるレベルですしね。

お前、もっとやれることが大量にあるだろう!って。

スマホとか存在しない昔の話にすりゃいいだけなのに、なんで自らいらぬ縛りを設けて違和感を増大させてるんだろ、と私は思いますね。

結局こういうことをやるから、口さがない連中に「ギドクの妄想みたいな映画」とか言われちゃうんですよ。

恐ろしいスピードで問題作を次々発表してくるギドクですが、ちょっと落ち着け、と思いましたね。

やりたいことに下準備が伴ってないというか、なんか雑。

どんどん世界的名声を高めていた頃の作品ですが、個人的にはコーストガード(2001)あたりから迷走しだしてるんでは、という気がしなくもありません。

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