アメリカ 1943
監督 フリッツ・ラング
脚本 ベルトルト・ブレヒト、フリッツ・ラング、ジョン・ウェクスリー
死刑執行人と異名をとるナチスドイツ占領下のチェコ副総督、ラインハルト・ハイドリヒ暗殺事件に端を発する騒動を描いたサスペンス。
いやーもう、何事か、ってな面白さです。
最初はね、反戦映画なのかな?と思って見てたんですよ。
プラハで活動するレジスタンスの一員であり、暗殺犯である男がゲシュタポに追われて、僅かな接点しか持たない家族の家に転がり込んで追求をやり過ごそうとする序盤の展開とかね、ああ、これ絶対捕まるんだろうなあ、皆殺しなんだろうなあ、後味の悪い終わり方しなきゃいいけど・・などと、嫌な予感しかしないすべり出しでしたしね。
やがて犯人特定の手がかりすら見つけられぬことに焦ったゲシュタポは、事件解決を急ぐべく、無関係なプラハ市民を幾人も拘束して「犯人が出頭しなければ無差別に一人づつ殺していく。これは逮捕まで続く。」と宣言するんです。
ああ、こりゃもう駄目だ、と。
まあ、普通は出頭しますよね、犯人。
革命の狼煙を上げる前にプラハ市民が全員いなくなっちゃうじゃねえかよ!って話ですし。
誰のためのレジスタンスなんだ!と革命の意義すら問われかねぬ事態なわけですよ。
予感は当たったか、と。
もはやこの時点で、見終わったあと激しく落ち込むであろうことを覚悟する私。
ところがだ。
物語はここから予想外の筋運びを見せつけます。
描かれているのは、たとえ幾人の命が犠牲になろうとも、圧政には屈せぬと誓うプラハ市民の高潔な精神性。
もちろんそこに葛藤がないわけじゃない。
裏切りもあれば、反駁もある。
けれど放たれた一の矢を無駄にしないための草の根にも近い抵抗がね、示し合わせるでもなく広がって行くんですよね。
長期間収容され、明日までの命と知った一人の男が面会室で娘に滔々と語ります。
「お前の弟に伝えてくれ。自由とは帽子や菓子のように粗末にできんのだ。自由は闘い取るものなのだ、と」
本懐ならぬ断腸の思いに涙腺爆発、二の腕には鳥肌です。
さらにこの映画がすごかったのは、自由を渇望する戦いを描きつつも終盤は「ゲシュタポを欺くためのコンゲーム映画」のような様相を呈していること。
うまく運び過ぎだろう、と思う部分がないわけじゃありません。
けれど、執拗なゲシュタポの追求を知恵と機転、語らぬ協調で次々とかわしていき、事態を収束へと導いていく流れは上質なスリルと緊張に満ちていて、小さな疑問になんざこだわってる暇を寸分たりとも与えてくれません。
占領下の圧政に苦しむ人々のドラマを追いながら、この爽快感は何事か、と。
伝えるべき命題と、娯楽性が同居した大傑作だと思います。
「けれどまだ何も終わっちゃあいないんだ」と暗示するラストシーンも素晴らしい。
恐るべし、フリッツ・ラング。
ヒッチコックがこの映画を参考にした、というエピソードをどこかで見たんですが、それを鵜呑みにしてしまいそうになるほど優れた一作だと思いますね。