カビリアの夜

イタリア 1957
監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ

幾度となく男に騙され続けてきた娼婦の「それでももう一度男を信じてみたい」という気持ちを描いた悲喜劇。

もう、それがすべてですね、この映画。

細かなストーリーとかあらすじとかあれこれ書く必要は全然ないというか。

まずはなんといってもジュリエッタ・マシーナの圧倒的な存在感。

精神薄弱な女を演じた道(1954)とはまるで違う、エキセントリックな熟年の女を見事に演じきってます。

私は最初、ジュリエッタ・マシーナだとわからなかったほど。

彼女の一挙手一投足を見てるだけで場が持っちゃうんだから、ほんとこの人はすごい女優さんだな、と思いますね。

何をしでかすかわからない危うさと、奇妙な愛らしさに満ちていて、なにげないシーンからもとにかく目が離せない。

けれど決して一番手じゃないんです。

表彰台に登るようなことは絶対にない。

2番手、3番手の親しみやすさなんだけど、そのギリギリの端境を監督はふとした瞬間の「一番手にはない魅力」で彩る。

居ますよね、かわいらしくていい子なんだけど、なぜか星回りが悪いというか、不幸に付きまとまとわれているというか、そういうタイプの人。

簡単にゴールのテープを切れそうなのに、何故かいつまでたってもたどり着くことすらできそうにない感じがあって。

寸止め感、というか、永遠の場違い感というか。

けれど本人はそれをおかしいとは全然思ってない。

それゆえの天真爛漫さ、と見て取ることも可能。

まー、やきもきします。

もう本当にこの子はバカなんだから!と姉さん口調で説教したくなること請け合い。

もちろんそんな調子で女の人生がうまく運ぶはずもなく。

笑顔の裏に積み重ねられていくのは深い孤独。

真正面から孤独だと主張しないのがまた見事な演出で。

それが強烈な揺り戻しとなって活きてくるのがエンディング。

そりゃフェリーニですから。

中途半端な救いなんざ用意するはずもなく。

エンディングの突き落とし方なんて、そこまで追い詰めなくとも・・と思わず嘆息。

実に印象的なラストシーンを経て、監督は語りかけます。

こんな女だって幸せになっちゃいけないはずはないだろう?あなたたちならわかってくれるよね?

ラストシーンを美しいと思えた人にだけ語りかけられるメッセージ。

社会から顧みられることもなく、頼る身よりもないちっぽけな存在に対する深い慈しみの目線が胸を打つ名作。

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