ロスト・マネー 偽りの報酬

アメリカ 2018
監督 スティーブ・マックィーン
原作 リンダ・ラ・プラント

ロスト・マネー 偽りの報酬

オープニング早々、リーアム・ニーソンとヴィオラ・ディヴィスの濃厚でディープなキスシーン。

こんなことって滅多にないんですけど、私はこれをいきなり冒頭に持ってくる監督のセンスにほんと辟易しましたね。

もう率直に書いちゃいますけどね、美意識がないです、この監督。

それでも夜は明ける(2013)でアカデミー監督賞に輝いた注目の人物ですが、誰が60歳超えたじいさんと50歳超えたばあさんの即物的な熱愛シーンを見たいんだ、って話であって。

壮年夫婦の絆の深さを伝えたいなら他に方法はいくらでもあったでしょうが、って。

至極日本人的感覚なのかも知れませんけどね、いい年して何やってるんだ、と思うわけですよ。

はっきりいって気持ち悪い。

なぜわざわざ観客に見せつけなきゃならんのだ、と。

ホワイトウォッシュに対する当てつけのつもりなのかも知れませんけどね、それ以前の問題としてこれを「不気味かもしれんな・・」と思わない感覚が私はもう駄目だと思う。

そんな風にイデオロギーが先行する場面は他にもいくつかあって。

白人しかチャンスを与えられない映画界の状況が良いとは私も思いませんが、だからといってこの手の泥棒映画に埒外の作為として人種問題を絡めるってのもどうかと思うんですよね。

やってることはオーシャンズ8と似たような感じのエンターティメントなんですよ。

本作の場合はそれがたまま全員未亡人だった、というだけ。

やはり監督が最も心を砕くべきは、無力な一人の女がいかにして男に頼らないタフな女へと変貌を遂げていくか、その変化、心の機微を追うことであって。

そこに人種とか関係ないですよね。

どうしても人種問題を絡めたかったのなら逆にエンタメへ色気を見せるようなことはすべきじゃなかったと思いますし。

結局、どっちつかずになっちゃってるんですよね。

また、市長選の内幕を暴露するシーンが多い割には、候補者たちの顛末が全く描かれず放置されているのも気になりましたし。

いったいなにに焦点をあわせたかったのか、終始ブレブレなんです。

肝心の金庫襲撃事件も綿密な作戦行動の描写がないから、一向に盛り上がらないままでしたしね。

いきあたりばったりじゃねえかよ、って。

これ、もしタランティーノが監督してたら黒人だの白人だの意識させない一級品のエンタメに仕上がってたと思います。

それこそジャッキー・ブラウン(1997)やジャンゴ 繋がれざるもの(2012)みたいに。

本当に差別がないってのは人種を意識させない、ってことだと私は思うんで。

失敗作だと思いますね。

この監督はスパイク・リーみたいな方向へ行ったほうがいいと思います。

あと、看板っぽい扱いのリーアム・ニーソンですが、全部で15分ほどしか登場してません。

ファンは期待なさいませんように。

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