来る

日本 2018
監督 中島哲也
原作 澤村伊智

第22回日本ホラー小説大賞を受賞した「ぼぎわんが、来る」を映画化した作品。

さあて。

どうなんでしょうね、この作品。

中島哲也監督は嫌われ松子の一生(2006)や告白(2010)で唸らされた記憶があるんで、今作も割と注目してたんですが、なんでしょう、まず言えるのは「怖くない」ってことでしょうか。

私がホラー擦れしすぎちゃってるのかもしれませんけどね、どうも恐怖演出がありきたりに思えてしかたなくて。

窓ガラスに手形とか、毛虫大量発生とか、意味不明の抽象的図案の挿入とか、どれもこれもパターン化した脅かしの使い回しだなあ、と。

欧米か!とつっこみたくなるというか。

非常にわかりやすいです、それは確かなんですけど、山からやってくる得体の知れないものを心底怖い、と思わせるだけの創意工夫に欠けてるような気がして仕方ないんですよね。

そこはやっぱり山岳信仰や修験道が今も息づく日本ならではの「忌み、穢れ」をどう映像にするか?に心砕かなきゃいけなかったように思うんです。

他に山を解釈するすべを提示できないんならね。

じゃないとせっかくの「山から来るもの」という設定が、安い心霊もの、チープなオカルトと同列になっちゃう。

血のりをぶちまけときゃいい、ってなものじゃ決してなくてね。

むしろ血とか極力見せないほうが怖かった気さえしますね。

シリアルキラーやスラッシャーが山から降りてくるわけじゃないんだから。

そのあたりは監督自身、強く意識してないことだったのかもしれないけど、安易な怖がらせ方だった、と言わざるを得ない。

というか、あんまりホラーに執着してない気もしますね。

むしろサスペンスフルなドラマをどう形成していくかにとらわれてる感じ。

そっちは流石に手慣れたものでね、文句なしにうまいんです、だけどそのせいで怖さが一本道じゃなくなった、というのもあって。

登場人物の背景や性格を緻密に描くのはいいんですが、それがどこか寄り道のように思えるってのはよろしくないだろう、と。

分断してるんです、怖さを追求することと、家族及び周辺人物のドラマを描くことが。

だから134分がやたらと長尺に思えてくる。

終盤で怪異のスケールアップを目論んだのもいささか疑問。

誰が官憲をも巻き込んだ心霊大戦争をこの物語に望んでるんだよ、って。

帝都物語(1988)見てんじゃねえんだから、って。

なんだろう、すごくちぐはぐななものを私はこの映画に感じましたね。

ドラマはしっかりしてるのに、山からやってくる得体の知れないものに言及しだした途端に口数が少なくなってよそ見しだす、みたいな。

結局、怪異の正体も原因も明かされないまま終幕を迎えるのもどうかと思いますし。

それで恐怖が際立つならいいですよ、全然際立ってないですもん。

もやもやが残るだけ。

いっそのことタイトルを「比嘉琴子心霊事件簿」にでもすりゃあよかったと思いますね。

それならまた印象も変わる。

うーん、私はあんまり評価できないですね。

いたずらに胡散臭さを増長させただけのホラー風サスペンス、というと言葉が悪すぎるでしょうか。

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