運び屋

アメリカ 2018
監督 クリント・イーストウッド
原案 サム・ドルニック

90歳の老人がキロ単位の麻薬を全米各地に車で運ぶ「運び屋」に手を染めていた、という驚愕の事実を映画化した作品。

いやいやいくら事実といえど、そりゃ出来過ぎっしょ、90歳で運び屋はねえわ、なんか誇大に盛ってる部分があるんじゃねえの?と最初は思ってたんですが、映画を見て私、180度見識が変わりました。

居るわ、90歳の運び屋。

全米走ってるよ、素知らぬ顔して。

そう思わせるだけのシナリオ作り、演出が巧みだった、ってことなんでしょうけどね。

普通はね、もう90歳にもなったら意欲なり、積極性なりが衰えてくると思うんですよ。

いつお迎えがきてもおかしくないわけだから。

終活じゃないけれど、どう残った時間を快適にすごすか?に意識は行きがちだと思うんです。

私がもし90歳まで生きていられたら、絶対危ないこと、法に触れることなんかしたくないですよ、だって穏やかに最後を迎えたいですし。

なのに主人公はあえて危険に自らをさらす。

そこに描かれているのは、老人の最後の挟持であり、失ったものを取り戻そうとする悪あがき。

必要とされてない自分が、必要とされる場所があることへの喜び。

私なんざまだまだ全然若輩ですけどね、なんかもう主人公の気持ちがわかりすぎるほどわかってやたらシンパシーを感じてしまいましたね。

もちろん前提には、もう90まで生きたんだからどうなろうとかまわない、という自暴自棄な思いもあったことだろう、とは思うんです。

それを説得力たっぷりに、時にはコミカルに描写するイーストウッドの手腕には脱帽するしかない。

だってね、もうオチは最初からわかってるわけですから。

最後までうまく事が運ぶはずもなくて。

結果、90歳の運び屋は、違法な仕事に手を染めることで何を得て、何を失ったのかが物語の焦点となる。

終盤のクライマックス、圧巻です。

主人公がないがしろにしてきたものを、自らの命を償いとして投げ出す覚悟で埋め合わせようとするシークエンスはどこか宗教的でもあり、かつまた、老いたからといってすべてを諦めなくてもいい、人生はきっとやり直しがきく、力強く語りかけているかのよう。

もう、号泣です。

あんたバカだよ、とあたしゃ一人むせび泣いた。

続けざまに訪れる主人公逮捕のシーン、及びラストシーンも名場面としか言いようのない素晴らしさで。

なにごとか、って。

俺の目を涙でなにも見えなくするつもりかイーストウッド!ってな話だ。

ここ数年の監督作、15時17分、パリ行き(2018)とかハドソン川の奇跡(2016)とか、悪くはないもののどこか淡々としていて、やっぱ年齢のせいなのかなあ、衰えなのかなあ、なんて思ってたんですが、ここにきて目の覚めるような傑作を作り上げてきましたね、監督は。

イーストウッド本人が主演してる、というのも大きかったかもしれません。

あんなにかっこよかったイーストウッドが、もう背中も曲がっちゃって髪なんかもザンバラで薄くて、それだけで私は泣きそうになったりもするんですけど、ところがどうして、それでもなお居るだけで圧倒的な存在感を放ってるんだからすごいとしか言いようがない。

粗暴なチンピラに胸倉掴まれたり突き飛ばされたりさんざんなんですけどね、みじめな老人じゃないんです。

どこか飄々と、等身大の不器用な主人公を変に歪曲させず演じきってる。

ほぼ同年代の役者で同じ配役ができる人、ってとっさに思い浮かばないですね、私は。

主演監督作として、88歳でこれだけのものを作り上げてくる情熱、才覚に感服ですね。

もはやその生き様が感動的ですらある。

実話ものとしてここ数年で最高峰、彼のフィルモグラフィーの中でも5本の指に数えられる大傑作だと思います。

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