アメリカ 2018
監督 デヴィッド・イェーツ
脚本 J・K・ローリング
前作である、ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(2016)を見たときにも書いたんですが、私はハリーポッターシリーズを1作見ただけで挫折しちゃった人なんで、ハリポタ的な要素が濃くなればなるほど冷めてしまう、というのは間違いなくあって。
やっぱりね、世界をひっくり返しかねない邪悪な魔法使いとか、もう、何回やれば気が済むんだ、と思ってしまうわけです。
まあその、ジョニー・デップ演じるグリンデルバルトのことなんですけどね。
現実とのあわせ鏡、とばかり、グリンデルバルトのマグル(人間)蔑視な選民思想を危険な政治的主張であるかのように描写していたのは興味深かったんですが、その先がどうなるのかはハリポタシリーズが明らかにしてるわけですから、それほど顛末に期待はできないですよね。
きっとグリンデルバルトが悪役を全うして退治されちゃうんだろうな、と。
クイニーとジェイコブの結婚ぐらいはグリンデル大暴れの副産物として、魔法省に許されるのかもしれませんけどね。
いやね、J・K・ローリングの脚本はよく練られてる、と思うんです。
クリーデンス・べアボーンの正体を最後の最後で明かして、次への引きとする手管なんて良質なミステリのようだったと思いますし。
出来過ぎかよ!と思ったりもしたけれども、そこはまあ良しとする。
登場人物たちの心のすれ違いを巧みに演出するのも堂に入ったもの。
でもねえ、結局前日譚になっちゃってるんですよね、これ。
何作続くのかわかりませんが、つまるところ「ダンブルドア、働き盛りな中年時代の苦い思い出が今明らかに!そして物語はハリポタへとリンクする!」ってな方向の筋立てに物語はどんどん傾いていってる。
私が前作を見て「楽しい!」と思ったのは、ニュート・スキャマンダーが魔法動物相手にすったもんだする姿であったり、パン屋の親父を目指すジェイコブのささやかな恋物語だったりしたんで、もう全然ベクトルが違うわけですよ、闇の魔法使いとか、革命とか、やがて迎えるであろう最終決戦とか。
そういうことをやるのにニュート・スキャマンダーを駆り出す、ってのがもう脱力で。
ニュートは魔法動物相手に遊ばせてやっておいてくれよ、と。
「魔法動物の生態を解き明かすついでにまたもや事件へと巻き込まれたニュート、おなじみジェイコブも登場で今回も大騒ぎだ!」みたいな感じだったら大歓迎だったんですが、対グリンデルバルトの戦闘要員として頭数に入ってます、という今回の構図自体がなんとももう。
てか、これなら別にダニエル・ラドクリフ君にやらしときゃいいじゃん、と。
すっかり大人になってしまったけれども、ダニエル君。
ニュートとハリーの役割に、物語の構造上、大きな違いはなさそうだし。
わざわざ主人公のキャラクター設定を、魔法動物の研究家にする必要がなくなってきてるんですよね。
ハリーポッターの世界観が大好きな人達にとってはあれこれ発見や驚きがいっぱいあって、細部まで検証したくなる内容なのかもしれませんが、前作で初めてちょっといいじゃん、と思った私のような人間にとっては、途中で振り落とされてしまう一作でしたね。
ロー・ファンタジーからヒロイック・ファンタジーへの移行を決定づけたシリーズ2作目ではないでしょうか。
次作への繋ぎとして、よく出来た映画だとは思うんですが、好みの問題で私はこれにて撤退です。
あとは任せた。
誰にだ?