フランス 2018
監督 ダニエル・ロビィ
原案 ドミニク・ローシェ、ギョーム・ルマン
スティーブン・キング原作でフランク・ダラボンが監督したミスト(2007)とは同名別映画。
つい先日も書いた気がするんですが、なんでこういう紛らわしい邦題のつけ方するんですかね。
便乗したいのか?名作ミストに?今頃?
それともアホなのか?そうなのか?そりゃすまん。
で、肝心の内容なんですが、ミストと展開は割にかぶってたりします。
カーペンターのザ・フォッグ(1980)なんて映画を思い出したりも。
要は突然謎の霧が発生して街を覆ってしまうわけですな。
発生原因も成分もわからないんですが、吸い込むと死ぬ。
主人公一家はたまたま集合住宅の高層階に居たために難を免れるんですが、問題は娘が免疫不全の難病を患っており、室内の無菌シェルターで生活していること。
無菌シェルターは街が停電したためバッテリーで動いているんですが、もつのはせいぜい10時間。
10時間の間に両親は娘を救う事ができるのか?ってのが物語のあらまし。
あ、これはうまいな、と素直に思いましたね。
酸素ボンベでも背負わない限り到底外出は不可能な状態で、動かすことの出来ない娘を足かせとするシナリオは、不条理にさらなる障害を上乗せする意地悪な絶望感、焦燥感があったように思います。
だってね、仮にバッテリーを交換し続けたところで大局的に見るなら未来はないわけですよ。
娘は汚染された外界で生きていけないんですから。
両親だってバッテリーにばかり関わっていられない。
自分たちの食料も必要だし、水だっている。
そうこうしている間にも霧はどんどん潮位をあげてくる。
いずれ室内に侵入してくるのも時間の問題。
それでもまずは娘、と両親は霧の街を奔走する。
無償の愛情を演出する上で、これは見事な刹那的シチュエーションだったな、と思いますね。
また、霧にすっぽりと飲み込まれたパリの街の遠景があたかも水没したかのように見え、独特の衰亡感があって。
これはちょっと見たことがない絵だな、と引き込まれましたね。
で、どう考えてもろくなエンディングが待ってない、と思われるこのシナリオ、待ち受ける悲劇に私は身構えていたりもしたわけですが、予想を覆して最後の最後に監督は「そうきたか!」と唸らされるオチを用意してくれてまして。
いや、終盤でね、まさか・・・とは思ったんです。
でも、まさかを幕引きとして、ラストシーンに逆説とばかりあんな場面を持ってくるセンスには脱帽という他ない。
霧を題材にしたわかりやすいSFパニックから、結びを発想の転換でひっくり返し、物語の肝としてみせた秀作でしょうね。
本当に救われるべきは誰だったのか、一見の価値はある作品だと思いますね。
以下、ネタバレ注意。
ディストピア パンドラの少女(2016)はこういう風にやればよかったんだよ。