ジュラシック・ワールド/炎の王国

アメリカ 2018
監督 J・A・バヨナ
脚本 デレク・コノリー、コリン・トレヴォロア

ジュラシック・ワールド/炎の王国

いつの間にやらもう5作目?って感じのジュラシック・パーク・シリーズなわけですが、実は私、それほど熱心なファンというわけではなくてですね、前作はおろか初期三部作ですらちゃんと見ておりません。

スピルバーグが監督した93年の第一作目だけは見てるんですが、以降は世間の狂騒とは裏腹に、ほぼスルー。

なんでか?というと、恐竜そのものにあんまり大きく興味を持てないからなんですよね。

居るんだよ、こういう奴って。

男の子はみんな恐竜大好きでしょ?と世のお姉さま方は思い込んでおられるかもしれませんが、ところがどっこい、あたしゃ子供の頃、みんなが恐竜図鑑を広げて熱中してる真横で水木しげるの妖怪図鑑を熟読してた。

昔から不可視の存在、常識で割り切れぬ摩訶不思議が大好きだったんですなあ。

私にとって恐竜とは、はるか昔に死滅した爬虫類の親戚みたいなもの、という認識でしかなくて。

自分の中のポジショニングとしては1500年代に絶滅したニュージーランドの巨大鳥類、ジャイアントモアと恐竜はあんまり変わらなかったりする。

メガロドン(サメ)とかも近い感触だな。

昔は色んなのが居たんだねえ、残念だねえ、みたいな。

格別恐竜だからどう、ってのはない。

なので映像表現の技術的進化が、本当に生きているかのように恐竜をスクリーンに蘇らせたことに驚きこそすれ、そこに偏愛や歓喜の感情は湧き上がってこないんですよね。

どうせなら口から放射能を吐くとか、全身のトゲが怒ると発射されるとか、怪獣映画的ギミックを付加してくれりゃあ面白いのに、などと不遜なことを考えたりする始末。

中2か。

すまん、否定できん。

で、そんな私がなぜこの映画を見たのか、と言うとですね、これひとえに J・A・バヨナ がメガホンとってるからに他なりません。

J・A・バヨナといえば0年代の大傑作スリラー、永遠のこどもたち(2007)の監督なわけですよ。

怪物はささやく(2016)なんてのもありました。

こちらもとんでもない大傑作。

そんなバヨナがジェラシック・パーク?

えっ、どうなってるの?なんかもうシリーズをひっくり返すようなとんでもないことをやったりしてるの?なぜジェラシック?わけがわからん。全然畑違いじゃん。ぬ、これはもう見るしかないのか、自分で確かめるしかないのか?みたいな。

前作見てないからあらすじとかさっぱりわからんのに、バヨナってだけで手にとってしまったわけだ、この私は。

そしたらですよ。

やべえ・・・思ってた以上に普通だ・・・。

別にバヨナじゃなくても務まりそうなブロックバスター映画らしい大味志向。

うーん、順調にキャリアを積んでる、ってことなんでしょうね。

そうとしか理解できない。

いや、つまらなかった、ってわけじゃないんですよ。

完全に先読みできるシナリオや、パターン化した冒険譚、わかりやすすぎる悪役等、なんの裏切りもないことは確かなんですが、序盤の火山爆発に追われる脱出劇や、終盤における恐竜が邸宅を駆け巡るシークエンス等、あまり目にしたことのない絵で最後まで楽しませてくれたのは間違いないですし。

特に新種の恐竜が少女の寝室に忍び寄る場面なんて、どこからどう見てもホラーの演出で、こんなところで「らしさ」を出してくるのかよ!と思わずほくそ笑んだりしましたし。

まあ、水準以上のエンターティメントに仕上がってる、と言ってやぶさかではないでしょう。

そこにケチをつけるつもりはない。

でもやっぱり、別にバヨナじゃなくてもよかったよなあ。

まだ言うか、俺。

ここを踏み台にしてバヨナには、本当に撮りたいものを将来的に形にしてほしいものです。

うん、これはこれで良し、としましょうか。

私が良しとしなくてもなんの問題もないですけどね、はい。

唯一残念だったのは屋敷の少女の、隠された秘密を全然活かしきれてないシナリオですが、それもエンディングでのアクセルふかし過ぎなオチへの布石と思えば帳消しか。

余談ですが、次どうするんだろ、とちょっと思いますね。

あるなら、の話ですけど。

サバイバルホラーにするしかない気もするんですが、バヨナはもう関わらなくていいからね。

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