イギリス 2017
監督、脚本 リン・ラムジー
原作 ジョナサン・エイムズ
人探しを専門に請け負う裏稼業の男が、州上院議員から依頼された「消えた少女」を追う事件でとんでもない目にあう、ってなお話。
さて、主人公である人探し請負人ジョーですが、依頼達成のためには手段を選ばぬ非情な男でありながら、父親からの虐待の記憶と戦争体験によるPTSDに苦しめられ、自殺願望を抱えているというややこしい人物です。
彼をこの世につなぎとめているのは老いた母親。
痴呆気味な母親を看取るまでは死ねない、というわけなんですね。
そんな男が少女を追う内に、少しづつ変わっていく、というのが物語のあらすじなんですが、まー、ぶっちゃけ色々としんどい映画です。
クライム・サスペンス調のストーリーながら、内実は心理ドラマに近いんじゃないのか?と私なんかは思った。
もちろん謎解きであったり、暴力描写であったり、この手の映画らしいな、と思えるシークエンスはあちこちに点在してます。
けど、それ以上に主人公の語らぬ心理描写が重苦しい。
無表情に平静を装ってはいるが、内面は血反吐を吐きながらのたうち回っているんだ、ってのがありありと伝わってくるんですよね。
なんとも見てて気分が沈んでくる。
とりあえず非合法な仕事は一旦休んで、お願いだからちゃんとした治療をうけてくれ、と言いたくなってくる。
出口のない沈鬱な苦悩がこれでもかと前面に押し出されてるんですよね。
事件以前に病的であることが皮膜のように映画全体を覆っているんです。
で、そんな主人公の「救い」らしきものが、どうやら「消えた少女」っぽいんですが、これがねえ、どうなんだろ、と。
色んな意見があるんでしょうけど「いかに汚されようと聖性を失わない無垢たる乙女」みたいなものは宗教上か、おっさんの妄想の中でしか存在し得ない、と私は思うんですね。
二次元コンプレックスの童貞でも今どきそんなの信じちゃいねえぞ、って話で。
極論かもしれませんが、それって「若さを絶対視した女性蔑視」と何が違うの?と詰め寄られても反論できないと思うんですよ。
なのに物語は、病んだ男が、病んだ妄想を塗り重ねて希望とするのを物語の落とし所とする。
なにも語ってはいないですよ、シナリオもカットもね、でも結果的にそういう描き方になってる。
そんなの、まるで同調できないし、ただただ当惑するだけです。
いや、ほんとに。
それともリン・ラムジーは少女のタフさを描くことで逆説的に主人公を矮小化、おっさん、しっかりしろよ!とでも言いたかったんですかね?
多分違うんだろうなあ。
余計な説明を排して全部絵でわからせる手法や、ホアキン・フェニックスの感情を押し殺すかのような演技はよかったと思うんですが、なんだか気持ち悪い、ってのが正直な感想。
これを老年の男性監督が撮った、と言うならまだ理解できなくもないんですが、女性監督が手がけてる、ってのがますます私の混乱に拍車をかけてます。
うーん、わからん。
あと音楽をレディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドが手がけてるんですが、個人的にはあんまり向いてない、と思った。
自己主張が強すぎ。
そういう編集をした側の責任かもしれませんけどね。
私にはついていけない一作ですね。