スイス 2015
監督、脚本 ミヒャ・レビンスキー
家族と出かけたスキー旅行で思わぬ事態に遭遇し、対処のまずさからにっちもさっちもいかなくなった中年男の焦燥を描いた人間ドラマ。
あのブラッド・ピットが設立したプランBが制作に噛んでます。
ということはなにかと一筋縄でいかない作品なのかな?と私は思ったんですが、ま、嫌な爪痕を残す映画ではありましたね。
描かれているのはごく普通の、小心者とすら言っていい男の衝動性と破綻。
一人の大人として責任を持って対処すればもっと違う形の結果が導き出せたのかもしれないのに、自己保身と事なかれ主義が最悪のケースを招く、というのがおおまかな筋立て。
えーどっちかというと地味です。
人によっては単調、と捉えるかもしれない。
がさつな言い方をするなら、オッサンが一人で焦って話をややこしくしてるだけの映画ですしね。
私が気になったのは、ストーリーを追っていて、主人公の性格設定がいささか極端に歪曲されすぎなのでは?と思えた点なんですが、ま、そこは創作の色味と考えるべきなのかもしれません。
最初はサイコパス気味なのか?と疑ったりもしたんですけどね。
主人公、あまりに八方美人で自分に非が及ぶこと、悪意にさらされることを恐れるんでね、どこか病的にも映るんですが、自分の交友関係のみでなく、会社、社会にまで視点を広げれば、確かにこういうやつは居るかも、と昔勤めていた職場の上司を思い出したり。
役人にこういうタイプの人間は多いかもしれませんね。
おそらく監督は「穏便に済ませようとする醜い画策がこんな結果を招くこともある。それはあなた自身にも当てはまることなのだ」と訴えたいんでしょうが、共感を得る、という意味ではなかなか難しいものがあるのでは?と私は思ったり。
これが「ごく普通の社会人が犯したたったひとつの小さな欺瞞」なら、物語は哲学性をおびて真に迫るものになっていたと思います。
主人公、どっちつかずなんですよね。
なんかもう捕食されるのを怯える小動物並みに人の顔色伺うんです。
かといって社会生活が営めないほどの不適合者、というわけではない。
職場で暴れて通院の過去がある、という裏設定が一応あるんですが、それを活かそうとすると、どうしてもテーマとのズレが生じてくる、ってのがやはり問題かと。
いっそのことスリラーにすりゃよかったのに、と私なんかは思いますね。
骨格は間違いなくスリラーの「それ」なのに、現実的で緻密なドラマにこだわってしまったことが齟齬を産んでいる、というのが実状じゃないでしょうか。
結果、エンディングだけが妙に浮いて見える。
やっぱりこの文脈だと「そこまでやるか?」ってのはどうしたってあると思うんですよ。
脚本がしっかり作ってあるし、役者の演技も良かったんでもったいないな、とは思うんですけどね、観客にどこを向かせたいのかわかりにくい映画だった、というのが私の結論。