アメリカ 2016
監督 ブラッド・ペイトン
脚本 ロニー・クリステンセン
ぶっちゃけ前半の展開はめちゃくちゃ面白かったですね。
主人公は自動車事故のために車椅子生活を余儀なくされたエクソシストなんですが、この男、エクソシストと通称されてはいるものの、宗教的な悪魔祓いの儀式を一切否定。
むしろバチカンとは敵対していたりする。
悪魔とは人の精神に巣食う寄生体であり、接触することによって人から人へと感染する未確認生命体である、と断言しやがるんです。
男は特別な装置の助けを借りて、他人の精神にサイコダイビングすることによって寄生体を排除する特殊技能をもった技師である、というのが物語設定なんですね。
いやね、はっきりいって疑似科学だと思うんですよ。
悪魔を物理現象として解釈するための、証拠となる判例も論拠も映画では描かれてませんしね。
主人公がそうだ、と言い切って、実際にその方法で人が救われている、という結果が提示されてるだけ。
でもね、バチカンが匙を投げた悪魔憑きを車椅子の主人公が精神世界に侵入して救っていく、という筋立てがね、なんとも想像力を掻き立てるというかヒロイックというか。
悪魔祓い界のドクター・ストレンジかよ!みたいな。
サイキックなアームチェアディテクティブ、と言ったほうがいいのかもしれませんけど。
どちらにせよ、現実世界では不自由な身だが、夢の中では唯一無二の祓い師、というのがキャラとして秀逸だったと思うんですよね。
いやこれ、連作できるんじゃないか?!と私なんかは思った。
ところがだ。
これだけのキャラを用意しておきながら、よろしくないのが作劇で。
主人公は後半で積年の強敵、悪魔マギーと対決するんですが、なんといいますか本当に盛りあげ方が下手くそで。
殺さなくてもいい脇役を殺してストーリーを広げられなくしちゃうわ、必要のないエピソードを挿入して緊張感を台無しにするわ、オチに矛盾を抱えたままエンドロールだわで、もうズタズタ。
序盤のワクワク感はいったいなんだったのか、という失態ぶり。
マギーと主人公の関わりも、復讐譚として見るなら「えっ?それ、出会い頭じゃん!?」っていいたくなるほどの薄ーい関係性でしたし。
なぜこれでシナリオにOKが出たのか本当に私は不思議。
夢世界を幻覚的に表現できて、ドラマチックな演出のできる監督がメガホン握ってたら全然違ってたのになあ、この映画・・・とつくづく思います。
素材を全く使いこなせてない最もたる例でしょうね。
残念。
ああ、もったいない(最近続けてこのセリフばかり書いてる気が・・・)