いつも心はジャイアント

スウェーデン/デンマーク 2016
監督、脚本 ヨハネス・ニホーム

頭骨が変形する難病を抱えて産まれてきた男性の青年期を描いた人間ドラマ。

主人公リカルドなんですが、頭骨の変形のせいで視野が普通の人より狭く、言葉も上手に喋れない障害者です。

父親は行方不明、母親はリカルドを産んだ事により精神を病み入院中。

本人は介護施設で補助を受けながら毎日を過ごしています。

そんな彼が唯一熱中してるのがペタンクと呼ばれる球技。

日本ではなじみのない球技ですが、ヨーロッパでは一定の競技人口が居て定期的に大会なんかも開催されてるようで。

リカルド、ハンデを抱えながらもペタンクに人並み以上の才能を発揮します。

やがて彼は親友であるプレイヤーとチームを組み、北欧選手権に出場するほどの腕前となるんですが、あれこれ試練が待ち受けてて、そう簡単には事が運ばず・・・というのが中盤までの大まかなあらすじ。

はて?フォレスト・ガンプ(1994)みたいな感じなのかな?と思う人も少なからず居るのでは、と思います。

別物とは言いませんが、この作品が、類する障害者を扱った映画と決定的に違うのは、スタート地点からリカルドは完全な異形であり、そこに救いらしきものは一切存在しない、という点。

作中でリカルドは心無い輩からエレファント・マンなどと差別されたりするんですが、まさにエレファント・マンが現代社会を生きていくというのはどういうことなのか?というのを、遠慮呵責なく描ききってるのが本作と言えるでしょう。

そこにうす甘い慰めや生ぬるい希望なんて一切演出されてません。

ペタンクで勝ち抜くことさえ彼にとって本当の喜びであったのかどうか不透明。

まず前提として全てに対する「あきらめ」があるんですね。

すべてをあきらめた上で、ペタンクしかできることがなかった、と捉えることも充分可能。

では、とんでもなくペシミスティックな映画なのか?

・・・・正直ね、見てるだけで辛くなる、心が苦しくなる作品であることは否定しません。

だってね、わからないんですよ、どうしてやることがリカルドにとって最善であり、幸せなのか、ということが。

随所で挿入される心象風景でリカルドはいつも巨人になり、街を闊歩します。

その姿には、彼のたったひとつの「ささやかな願い」が込められている。

それが明かされるのがエンディング。

ああ、良かったね、幸せになれたんだね、みたいな場所にはまかり間違っても着地しません。

最後の最後まで監督は中途半端な共感や同情を徹底して拒絶します。

ハッピーエンドなんてあろうはずもない。

ラストシーン、望んで異形に生まれついたわけではないのに、それを恨むでなく、世間を怨嗟するわけでもなく、ただひとつだけを夢想し続けたリカルドの願いが、幻想性をも伴う美しさで結晶化します。

描かれているのはなにか?

これこそが「純心」なのでは、と私は思います。

うずくまる絶望の向こう側に「端正な心の所在」を監督は見事照らし出してみせた。

そこにあるのは外見の醜さを美で染め上げようとする麗しい感性。

ファンタジーの手法を巧みに引用してみせたことも素晴らしい。

傑作でしょう。

号泣しました。

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