日本 2017
監督 黒沢清
原作 前川知大
劇団イキウメの舞台劇を映画化した作品。
原作が舞台だったなんて全く知らなかったので、てっきり私は「こりゃ黒沢版ボディ・スナッチャーズ/恐怖の街(1956)に違いない!」などと一人興奮してたりなどしたんですが、壮大な早とちりでございました。
いやはや危なかった、見当違いな文章を書くところでした。
しかしまあ、この内容を舞台でやる、ってすごいなあ、と思いましたね。
映画と関係ない話ではありますが。
現代演劇には詳しくないんでよく知る人からすれば驚くには値しないことなのかもしれませんけどね。
だってね、これ侵略SFなんですよ。
実態のない宇宙人に肉体を乗っ取られた地球人が、地球を滅亡に導くお話。
どう考えても映画向きの題材。
あ、だから黒沢監督はメガホンとったのか。
いや、知りませんけど。
とりあえず見てて、あ、なんかいつもと調子が違うな、と私が思ったのは、主にホラーに特化した黒沢監督が、今作に限ってはどこかコメディ調というかオフビートな笑いを意識しているように感じられたこと。
どこかすっとぼけた様子なんですね。
これ、本当に侵略SFなの?と懐疑的になってしまいそうな「緊張感のなさ」がある。
実は全部でまかせです、みたいなオチが待ってるんじゃないか?みたいな。
それがオリジナルの舞台劇の影響によるものなのかどうかはわからないんですが、本当なのか嘘なのかよくわからない胡散臭さが、独特な味を醸し出していたことは確か。
実質ね、アイディアそのものにさして新鮮味はない、と思うんですよ。
宇宙人に肉体を乗っ取られる、なんて、前記したボディ・スナッチャーズをご存知の方ならおわかりの通り、1950年代からあるネタですから。
今更そこになにか新しいものを見出すなんてとんでもない難事業でしょうし。
ただ、宇宙人自身が地球人から「概念」を盗むことによって他天体の理解を深める、という発想自体はそれほど悪くはなかった気がします。
「概念」を盗まれた地球人は、副産物として概念そのものを失ってしまう、という設定がなかなか面白いんですよね。
例えば、家族という概念を盗まれてしまうと、本人は兄弟を認識できなくなってしまう。
結果、次から次へとぶっ壊れた人間が量産されていく。
とぼけた調子の映画なのに、見進めていくにつれて概念を失った人間の「狂気」が折り重なっていく、というシナリオ進行は着地点の見えぬ薄ら寒さがどこかありました。
これ、ひょっとしてなんの救いもなく終わるんじゃないか、という嫌な予感が作品の雰囲気と反比例してどんどん蓄積していくんですよね。
もし、そんな「神経を逆なでる居心地の悪さ」をあえて狙ったのだとしたら、さすが黒沢、という他ないわけですが。
それを最も体現してたのが長谷川博己演じる桜井でしょうね。
抗いようのない強大な力にさらされ続けた人間がたどる異常な心理をここまで見事に描ききるか、と私は唸らされたりも。
で、最も驚かされたのが実はクライマックスで。
あーこりゃもう、暗い後味しか残らないわ、絶対いやな気持で終わるわ、と思ってたところにまさかの甘々などんでん返し。
そこ行く?!ってなもんです。
スピルバーグかよ!と私は思わずつっこんだりもした。
さすがにクサいよ!とも思った。
でもね、勇気を振り絞って言いますが・・・・・・えーと、決して嫌いじゃなかったりはする。
すまん、お恥ずかしい。
終末的ビジュアルに、刹那の感情を持ち込んだ絵にちょっとやられちゃったのだよ。
ちなみにエンディングは過分にご都合主義的です。
多くの人につっこまれるとしたら多分、そこ。
もうね、これ、どっちかというとファンタジーでいいのかもしれません。
らしいか、らしくないか、でいうとほんとにらしくない。
しかしながら、この物語をこんな風に撮れるのは黒沢だけ、という気もする。
見どころはたくさんあります、と。
言えるのはそれだけですかね。
余談ですが松田龍平は妙にはまってました。
こういう役をやらせたら他の追随をゆるさんなあ、とほくそ笑んだり。