スイス・アーミー・マン

スウェーデン/アメリカ 2016
監督、脚本 ダニエル・シュナイナート、ダニエル・クワン

スイス・アーミー・マン

なんともまあふざけてるというか、わけのわからん映画だなあ、と。

発想の奇抜さ、プロットの独創性が抜きん出ていることだけは確か。

なんせ無人島に漂着した死体が、時を経るうちにポツポツとしゃべりだし、やがては十徳ナイフばりに四肢を使って主人公のサバイバル生活を助け出す、ってんだから開いた口が塞がらない。

曰く、屁で海上をジェットスキーのごとく滑走する。

曰く、口からとめどなく飲料水を吹き出す。

曰く、反動を利用して両手を鉈のようにつかう。

他にも色々あるんですけど、そこは実際に見てもらって確認していただくとして。

いったいどういう思考の変遷をたどればこんなアイディアがひらめくに至るのか、監督に直接問いただしたくなるほどの狂いっぷりでして。

しかも物語は、十徳ナイフ死体が徐々に人間性に目覚め、主人公のスマホの携帯の待受になってる女に恋をするシナリオ展開で観客のご機嫌を伺おうとする。

挙句には主人公が女装して十徳ナイフ死体にデートの手ほどきをしようとする、ってんだから全くもって尋常じゃない。

なんだよこれ、ネクロフィリア(屍体愛好家)を描いた映画なのかよ!?と脳内はひたすら混乱するばかり。

だってね、いくら役立つからって、普通は死体を連れて人跡未踏の山野を住み慣れた街に向かって踏破しようとしたりなんかしないですよ、まともな人間なら。

まずは自分を疑いますよね、常識人なら。

ありえないですもん、屁で滑走とか、脈が無いのにしゃべりだすとか。

ついに俺も飢えのあまり幻覚を見るようになったか、と錯乱するのが普通だろう、と。

そもそもなんで十徳ナイフ死体は子供が成長していく過程をたどるかのように内面を変化させていくんだよ?!という当たり前の疑問を主人公が抱く様子もまったくないですし。

死骸に対する忌避感みたいなものが完全に欠落してるんですよね。

だから単純に、見てて「笑える」というより「気持ち悪い」という感情の方が先行するのでは?と思ったりもする。

私はホラー擦れしてるんで、そのあたりは平気だったんですけど、これをシンプルに楽しめるかどうか?というのは案外微妙なのでは、という気がしたり。

一応ね、それなりに「ああ、そういうことだったのか」と納得できる種明かしは用意されてます。

焦点が当てられているのは地域社会に馴染めぬ主人公の孤独であり、絶望。

強引にもっともらしさで取り繕うなら、十徳ナイフ死体は彼の空疎な心を反映したもの、と言い切ってしまうこともできなくはないでしょう。

ただね、そう解釈してしまうとラストシーンの意味がわからなくなってくるんですよね。

ストーリーに整合性を求めるなら、ラストは現実を見せつけなきゃならなかった。

それでこそどこまでがリアルでどこまでがギミックなのか、おおよその見当もつこうというもの。

なのにラストで再び煙に巻いちゃうんですよね、監督は。

うーん、わからん。

サービス精神旺盛、ってことなのかもしれませんが、それが逆にスッキリしない結果を招いている、そんな風にも感じました。

余談ですが、ダニエル・ラドクリフ君もハリポタのイメージを払拭しようと必死なんだろうなあ、とちょっと思いましたね。

死体役って。

うまかったけど。

けど、うまいことが将来的になにかにつながる、と思えなかったりもしますし。

ヨゴレだし、うん。

奇妙な味わいの変な映画がお好きな方にとってはストライクな一作かもしれません。

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