ハクソー・リッジ

ハクソー・リッジ

オーストラリア/アメリカ 2016
監督 メル・ギブソン
脚本 ロバート・シェンカン、アンドリュー・ナイト

銃を持つことを断固として拒否しながらも戦場に赴くことを志願した実在の人物デスモンド・ドスの、衛生兵としての生き様を描いた戦争ドラマ。

まーしかし本当にこんな人が第二次世界大戦の最中に存在した、というのが何より驚きですね。

お前はマハトマ・ガンジーか!と思わずつっこみたくもなってしまうんですが、狙撃される恐怖に身を震わせながらも徹底して非暴力を貫き、敵味方問わずに負傷した兵士を救おうと戦場を駆けずり回る姿には理屈を超えて胸を打つものがあったことは確か。

もちろんその根底にはキリスト教信者としての神の教えがあって、宗教者特有の頑迷さ、譲らなさが芯にあるわけですが、それでもここまで人を救うことのみに殉じた「献身」を見せつけられるとですね、言葉を失う、ってのが正直なところ。

そりゃね、大きな矛盾を孕んでるのは間違いないです。

いうなれば、これからリングに上ってファイトするボクサーが、リングには立つけどグローブはつけないし、自分からはパンチを出さない、って言ってるようなものですから。

他に銃を持ってくれる人、殺人に手を染めてくれる人がいるからこそ成り立つ言い分であって、もしあなた1人しか戦える男が居なければどう戦争と向き合うのだ、という指摘はたやすく成立する。

ましてやこれから死地に向かおうとする男たちに混じってただ1人ね「じゃあ僕は人殺し無理だしみんなが怪我した時のために絆創膏とか色々用意しとくね!」とか準備してるやつが居たら、戦場に出る前にまずこいつを殺っとくか・・・、ってな気分にもなろうというもの。

けれどね、それも物語全体を俯瞰することで矛盾が色合いを変えてきたりもするわけで。

そもそも戦争自体が愚行であり、そんなものに命をかける事自体が狂ってますよね。

でも一度開戦の火蓋を切っちゃったものは勝ち負けが決まるまで止まらない。

そんな愚かしい国取りゲームの真っ只中にたかが一兵卒が、人の数を減らすことをルールとしたデスマッチで人の数をなんとしても減らさないように務める、しかも敵味方区分なく動いた、としたら、それは何を意味するのか?

ゲームそのものの不成立を画策している、と考えるのがやはり妥当だろうと。

つまりは、デスモンド・ドスの存在そのものが戦争に対する痛烈なアンチになってる、と解釈することも可能かと私は思うわけです。

実ははこれ、信念の人を宗教観に照らし合わせて描いたようにみせて、無私であること、ただ愚直に人を救うことを通して、戦争を真っ向から否定してみせた作品なのではないか、と。

メル・ギブソン、恐るべしですね。

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いささか残念だったのは、前田高知での戦いにおいて日本兵が記号っぽく描かれていたこと。

敵もまた心ある兵士である、という描写が皆無なんですね。

完全にアメリカ側からの一方的な目線。

特に、切腹シーン、あれは完全に蛇足ですね。

沖縄戦の悲劇を知る日本人としては、とても承服できない安直なディフォルメだと私は感じた。

フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリで完全に思考停止してるし、戦場に駆り出された日本兵のことを全く学ぼうとすらしていない、というのが丸わかり。

その点だけが見事に抜け落ちちゃってるのが力作なだけに辛かったですね。

あとはエンディング、当事者たちのインタビューを長々と盛り込むのはどうなんだろう、と。

あんなのはエンドロールでちらっとやりゃあ十分なんです。

せっかくの高揚感が台無しになる。

肝心のラストが甘い、という感触は若干残りましたし、目線が偏ってるのも気にならないわけじゃないんですが、銃撃戦の凄まじい緊張感といい、丁寧な作劇といい、まあ、見て損はない一作じゃないでしょうか。

戦争を背景としてキリスト教を啓蒙するだけの映画になってない点を私は評価したいですね。

余談ですがヒューゴ・ウィーヴィングの演技が見事でした。

とてもエージェント・スミスの人だとは思えなかった。

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