アメリカ 2016
監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ
原作 テッド・チャン
地球外生命体とのファースト・コンタクトを描いたSF大作。
ある日、何の前触れもなく世界各国12箇所に飛来し、そのまま立ち去る気配のない巨大な柿の種みたいな宇宙船。
定刻になると宇宙船下部のドアが開き、侵入することが可能となる。
内部にはヘプタポッドと名付けられた異星人が壁1枚隔てて来訪者を待ってる。
主人公である言語学者、ルイーズは彼らと意思の疎通をはかることができるのか、ってのが序盤のあらすじ。
未知との遭遇(1977)やコンタクト(1997)を例に挙げるまでもなく、この手の接近遭遇をテーマとした作品は大量にあるわけですが、どういう形で異星人と会話を交わすのか?といった点に焦点を絞った試みはなかなか目新しかったように感じました。
大抵は安直にテレパシーだったりしますし。
まさか「表意文字」なんてものを持ち出してくるとは思わなかったですね。
ひとつひとつ丁寧に、順を追って暗中から正解を導き出そうとする展開はアカデミックとすら言っていいものだったように思います。
つまるところ、知らない言語を学ぶことが世界を変えてしまう、というのが作品の主題なわけですが、よくまあそんなニッチなネタで映画を成立させたことよな、とそこは素直に感心。
ただ、そんな地味なプロセスに知的興奮を見いだせない人にとっては、中盤ぐらいまでの流れは退屈極まりないものに映るかもしれません。
派手なドンパチがあるわけでなし、独特な造形、デザインに目を奪われるわけでなし、基本、光度を抑えた薄暗い映像中心で、主要人物はテントと宇宙船の往復を延々続けるだけですしね。
終盤からエンディングへの流れが理解しにくいのも好みを分ける気が。
要は「時間」の概念をどう捉えるのか、異星人との会話によって「時間」はどう変貌を遂げたのか、がオチになるわけなんですが、これ、普通にぼーっ、と見てたら間違いなく置いてけぼりをくらうと思います。
ちょっと不親切なんですよね。
最後に変貌した世界を、主人公視点じゃなく、全体を俯瞰する形で挿入してくれてたらもっとわかりやすかったか、と思うんですが、あえて突き放してる節があって。
描ききれなかった、映像化しきれなかった、ということなのかもしれませんが、これだと物語の真意を汲み取るにはあまりに難解すぎるんじゃあ・・・と私は思ったりも。
いわゆる本格SFを読み漁った人なら、経験値がものをいうんでしょうけど「時間は流れていくものではない」なんて言われても、それを「言語」と関連付ける作業はやっぱりなかなかできないですよね。
想像力、SF脳が試される一作。
私は結構好きですけど、この作品を広くオススメするのは躊躇するものがありますね。
近年のSF作家の中では非常に高い評価を受けてるテッド・チャンの原作を読んでから挑む、というのが正解かも。
実はとてもマニアック、というのが作品の正体であるようにも思います。