私の秘密の花

スペイン/フランス 1995
監督、脚本 ペドロ・アルモドバル

私の秘密の花

よくありがちなメロドラマ、と言ってしまえばそれまでかもしれません。

主人公は夫に内緒でラブロマンスを書く女流作家レオ。

軍人の夫は仕事のせいで留守がち。

すれ違いの生活が二人の距離をだんだん大きくしていく。

レオは夫が大好きで仕方がないんだけど、夫の気持ちはすでに彼女から離れている。

それを心の奥底では察しつつも、夫の愛を信じたいレオ。

そんな状況がやがて彼女の書くものにも影響を及ぼし始め・・・というのが物語の導入部。

初期の作品と少し毛色が違うな、と思ったのはコメディ色があまりないことですかね。

かといってシリアスで冷徹、というわけでもないのがアルモドバルらしさか。

私の一方的な印象なんですが、会話劇を中心に物語が推移していくスタンスから、物語そのものの枠組みをきちんと明示しよう、としているような感触も少し受けました。

やり方は変わらないんだけど、ストーリーラインの核になるものをセリフの外側で見えやすいように建築しだした、といいますか。

なんとなく、ここから「オール・アバウト・マイ・マザー」につながっていったのでは、と思えるような痕跡が伺えるんですね。

精度が上がった、というべきなのか、初期の八方破れな感じが薄れて残念、というべきなのかは難しいところだと思いますが。

描かれているのは、頼るべき人もろくにいない1人の中年女の再生。

冒頭で書いたように、それをメロドラマと捉えてしまうなら、何の意外性もなく普通、と感じた人もきっと居たことでしょう。

けれど、そこに監督のシビアになりきれない「優しいまなざし」を嗅ぎ取ってしまうとなんか妙に沁みてくるものがあるんですよね。

いつもそうなんですけどね、アルモドバルの映画は若くてピチピチしたお姉さんが主役、ってほとんどないように思うんですね。

だいたいがみんな、どこかくたびれたおばさん。

でもおばさんだからって、恋する気持ちや慈しむ気持ちが枯れ果ててるわけじゃない。

女そのものを描写する上で、若さという偶像を排し、酸いも甘いも噛み分けた中年の内面に焦点を当ててる時点でね、私は本質に迫ろうとしてるように思えて仕方ないんですね。

だからこそハッピーエンドも許されるし、女性の支持も高いんだと思う。

オープニング、脱げない靴に奮闘するレオの姿が暗示的です。

脱げない靴とは一体何のことだったのか。

物語の構造そのものは粗製乱造されるラブロマンスとそう変わりはないんですけど、この作品にはアルモドバルだけの女性に対するささやかな励ましがある、そんな風に私は感じました。

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