ゴースト・イン・ザ・シェル

アメリカ 2017
監督 ルパート・サンダーズ
原作 士郎正宗

ゴースト・イン・ザ・シェル

原作ありきの映画化、ってやっぱりなにかと難しい、と私は思うんですね。

どうしたって二次創作的な側面がつきまといますから。

そこに賛否が渦巻くのはもう宿命としか言いようがない。

特に漫画作品の場合、あらかじめビジュアルが固定されてるわけですから、そこから大きく逸脱しようものなら原作ファンから非難されることは火を見るより明らか。

最近の日本映画なんかはバッシングをかわすために、実写を限りなく漫画に似せる、というお座敷の太鼓持ちみたいなことやってますが、じゃあそれが正しいのか、というと、私の考えではそりゃ映画文化の敗北です。

元ネタがあろうがなかろうが、映画は映画として別物である、と毅然としてりゃいい。

本当に面白けりゃ原作から逸脱してようがまるで違ってようが大多数は文句を言わないはずなんです。

自信がないから、もしくは勝負しようとしてないからご機嫌伺いにアタフタ奔走する羽目になる。

つまり、創作する上での覚悟がない。

これぐらい似せとけば怒られないよね、みたいな、映画製作とは全然関係ないところでの媚び諂いが箸にも棒にもひっかからない凡作を量産してる、というのが私の持論。

で、肝心の本作、原作ファンに媚びているのか、それとも否か、真っ向から吟味するつもりで視聴に挑んだわけですが、意外にも私が推し量ろうとしている範疇からひょいと飛び出してて、なんだか微妙にスカされた感じでしたね。

確信は持てないですけどね、この映画の制作陣、多分原作は読んでない。

読んでたらこんな感じには絶対にならない。

じゃあ何を叩き台にしてるのか、というと、これ、露骨なまでに押井アニメ版だと思うんですよ。

あの世界観を外国人なりにオリジナル脚本でリブートした、という感触が非常に強い。

ああ、そうきたか、と。

ともすれば難解になりがちな押井作品を自分たちなりにわかりやすく改変した、というのは方向性としては間違ってない、と思うんです。

それぞれのお国柄によってこの手の作品の支持層というのは違ってきますから。

攻殻機動隊の魅力をワールドワイドな規模で伝えるために、熟慮した形跡は少なくとも伺えた。

そこは評価するべきだとは思います。

ただね、コアでハードなサイバーパンクを商業作品ギリギリのレベルで表現してみせた押井作品に触れた後だと、どうしても手ぬるく感じられてしまう、ってのは偽らざる本音。

原作、押井アニメが共通してテーマとしてたのは電脳空間におけるゴースト、しいては肉体を持たぬ魂のあり方について、ですから。

脳だけ人間で体は機械のサイボーグが新人類とか、そんな昔のSFでさんざんやりつくされたような安っぽい内容を攻殻だと言われてしまうとね、そりゃ戸惑います、旧来のファンとしちゃあ。

悪い、とは言わないです。

攻殻というマニアックなSFの間口はこの作品によって確実に広がった、と思いますし、スカーレット・ヨハンソンがびっくりするぐらい少佐を見事に演じてて好感を持てた、というのもありましたし。

外国人シェフが料理した日本料理にしては思った以上に口当たりがいい、とも思った。

でも、これを大好きだ、とは言えないですね、私は。

わかりにくい例えかもしれませんが、インディーズで自主制作してた頃の音源は尖ってて最高にイカス感じだったのに、メジャーデビューした途端にマイルドになって、なんだかあんまり好きじゃなくなったミュージシャンを見てるみたい、といいますか。

監督が押井版攻殻のことが大好きなのはよくわかった、ってところですかね。

それをリスペクトというのならそうでしょう。

あと、個人的に気になったのはCGのビジュアルセンス。

特に街並みなんですけど、遠景と近景の質感にギャップがありすぎるように思いました。

どこか90年代が思い描いた近未来像に見えたのも疑問が残るところ。

ここは完全に新しく作り直してよかったと思うんですけどね、なんか色々踏襲しちゃってますよね。

中途半端なオリエンタルムードもいささか痛い。

それとタケシ。

どうなんでしょうね、これ。

俄然ヤクザ映画臭がしてくるな、と私は思ったんですが、とりあえずその前に髪型なんとかしろ。

「親しみやすい攻殻」としては多岐にメディアミックスされた作品群の一翼を担う一作、と言えるかもしれません。

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