アメリカ 1993
監督 ハロルド・ライミス
原案 ダニー・ルービン
ペンシルバニア州の田舎町で延々同じ一日を繰り返す羽目になる、気象予報士の悲劇を描いたコメディ。
いわゆるタイムループもの、ですね。
この作品がタイムループものの嚆矢となったわけではきっとないんでしょうけど、何故か時間が反復するSFの話題になると必ずタイトルがあがる一作です。
さもありなん。
実際良く出来てます。
毎朝午前6時になると必ず同じベッドで目覚める羽目になる、というシンプルなルールを活かしたシナリオ作りのうまさは、今見ても頭一つ抜けているように感じましたね。
焦点があてられているのは「何をやっても時間の牢獄から抜け出せないと悟った時、人はどうするのか」ということ。
主人公、どうせ朝6時になれば全部リセットされるのだ、と悟り、最初はやりたい放題やらかすんです。
見知らぬ女を口説いてベッドに連れ込んだり、警察を挑発したり。
けれどどんな出鱈目をやらかしたところで、翌日にはすべて忘れさられたかのように元通りになっちゃうことが延々続くと、段々厭世感にとらわれだすんですね。
それが彼を最終的には自死へと追い詰める。
けれど死してなお「翌朝6時」は彼を現世に呼び戻し続ける。
結果的に彼は、死への渇望を超えて、どう変わっていったか。
このあたりのプロセス、コメディとは思えない人物描写の奥深さがあったように思います。
しいてはその修業にも似たリピートの日々が主人公自身に、自分は本当のところ何を望んでいたのかをわからせる仕組みになってるんですね。
やがてすべてを達観し、同じ1日をどう過ごすのか、初めて能動的になった主人公にいったいなにが訪れたのか、実はこの物語、愛すること愛されることの本質を説いた壮大な寓話だったことに観客は最後の最後で気づかされます。
いわゆるSFにおける思考実験的な醍醐味は希薄ですが、SFの枠組みを上手に流用したファンタジックなドラマとしては優れたものがあるように私は感じました。
同じ一日をどう演出するか、見ている側に飽きさせない工夫があるのもいい。
くどくならないように、上手に端折るんですよね、監督は。
それでいて構築性がある。
ラストシーン、白銀に包まれた田舎町の光景に、心あたたまるものを覚えたのはきっと私だけじゃないはず。
高いドラマ性のある作品だと思います。
ライトなコメディ、と言っちゃえばそうかもしれませんが、いったいどこへストーリーを落とし込むつもりなのか、予測できない面白さがあったことは確かでしょう。
90年代の良作、と言って偽りなしの1本。
邦題がちょっと残念ですが、まあそこは無視してやって頂戴。
多分、こういう映画がずっと記憶に残る一作になるんだろうなあ、となんとなく思ったりもしますね。