セル

アメリカ 2016
監督 トッド・ウィリアムズ
原作 スティーブン・キング

セル

スティーブン・キング原作のゾンビもの、と言われてますが、厳密に言うとゾンビものではありません。

ある刻限を境に、携帯電話を利用した人間が一斉に理性を失い凶暴化しだす、というのが物語のイントロダクションであり、基本設定。

死んだ人間が蘇って襲ってくるわけじゃないんですね。

あくまで襲撃者は同じ人間。

ただ頭のネジが完全に飛んじゃってる。

そりゃ、今時携帯持ってない人間なんてほぼ居ないわけですから。

なんの対策も講じる余裕すらなく、世界は暴徒の群れが闊歩する終末世界と化してしまうわけです。

偶然、携帯のバッテリーが切れてた主人公は難を逃れ、離ればなれになってしまった自分の息子を探すためにあえて危険に身を投じる、ってのが序盤のストーリーのあらまし。

ともあれ、携帯が人間を理性の欠落した獣に変える、と言うアイディアは、日進月歩していくテクノロジーに対する嫌悪、危機感を過分に内包しててわかりやすいアイロニーだなあ、でもちょっと老人の繰り言っぽいなあ・・と思う反面、携帯を小道具とする着眼点の秀逸さにキングの抜け目のなさを感じたりもして、なかなか興味深かったですね。

携帯使うと狂う、ってのはちょっとぶっ飛びすぎですが、携帯で通話することが引き金となる同時感染とか、絶対にないとは言えないように思うんですよ。

高い普及率が一歩間違えれば脅威となる、とした発想は決して悪くはない。

狂ってしまった人間たちを統率する何があって、彼らは彼らで独自の進化を遂げようとしているようだ、としたシナリオ展開も先を期待させるものがありましたし。

ただ問題は、せっかくのオリジナルなアイデイアも、結果的には有象無象のゾンビものと同じく、文明が崩壊した世界を生き抜いていくためのサバイバル映画になっちゃってること。

子供を探す親の流浪を描く、というのもよくあるパターンといえばそうですし。

器は違えど内容的にはウォーキング・デッドあたりとそう大差ないんですよね。

狂ってしまった人間たちについてあまり突っ込んだ分析がされてないのも気になった。

一度狂ってしまったらもう元には戻らないのか?そして凶暴化している状態とは医学的に見てどういうコンディションにあるのか、って結構重要だったと思うんですよ。

でもそこを掘り下げることなく、暴徒は片っ端から皆殺しなんでね、これ、逆説的に主人公たちのあまりな割り切り具合がちょっと短絡的すぎるように見えてくるんですよね。

普通に大量虐殺者じゃねえかよ、って。

で、最大の難点がエンディング。

何故こんなことが起きたのか、なにが世界を狂わしめたのか、一切明かされることなくエンドロール。

消化不良極まりない。

キングが脚本にも絡んでおきながらこの体たらくはいったいどうしたことか、といぶかしんでしまいましたね、私は。

立ち上がりは悪くなかったんですけど、どんどん尻すぼみな方向へ突き進んであげくに放り投げてしまった、というのが視聴後の正直な感想。

突き詰めれば監督の力量が及んでない、ってことなのかもしれませんけどね。

落ち着かないPOV風のカメラワークがB級感を加速させてたのは間違いないですし、サミュエル・l・ジャクソンほどの名バイプレイヤーを配しておきながら使いこなせてないですし、演出もあまり上手とはいえない。

もっと面白くする方法はいくらでもあったと思うんですけど(ある日突然全員が正気に戻る、とか)、冒険を嫌ってこじんまりと無難に破綻してしまった印象。

むしろ原作はどうなんだ、とそっちのほうが私は逆に気になってきたり。

凡作ですね。

多分、数週間後にはもう色々忘れちゃってると思います。

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