手紙は憶えている

カナダ/ドイツ 2015
監督 アトム・エゴヤン
脚本 ベンジャミン・オーガスト

アウシュビッツの生き残りである90歳のユダヤ人老年男性が、妻の死を契機に、彼の家族を惨殺したナチスのブロック長を探して復讐の旅へと出かける物語。

あらすじ読んだだけでテーマの重さに身構えてしまいそうな感じですが、作品そのものの肌触りはどちらかといえばサスペンスタッチでそれほど重厚さは感じられません。

もちろん主人公の想いを慮るなら、戦後70年を経過してさえ癒やされることのないその心の傷の深さに、戦争という悪夢の忌まわしさを痛感せざるを得ないわけですが。

というのも主人公の老人、認知症をわずらって入院しているから、なんですね。

ふと気を許すと妻がすでに死んでしまっていることすら忘れてしまう始末。

自分がどこに居るのかわからなくなることも度々。

なのに彼は、同じ介護施設にいる協力者に書いてもらった「事実を列記した手紙」だけを頼りに、老体に鞭打って施設を脱走するんです。

その執念たるや、なんて暗くて深い憎しみなんだろうと胸が押し詰まりそうになるほど。

で、監督が巧みだったのはそんな一人にしておくのは危なすぎる老人の軽挙妄動を、記憶の欠落によるスリルに転換して演出してみせたこと。

もうね、見ててこんなにハラハラした映画は本当に久しぶりでしたね。

だって、ちょっと列車でうたた寝しただけで隣に妻が居ないのに慌て、見知らぬ子供を孫と勘違いしたりするんですよ。

おじいちゃん、もうやめて、わかったから、お願いだからすぐ家に帰って、今のあなたにとって「復讐」はエベレスト登頂より無茶振りだ、と私は何度心のなかで叫んだことか。

90歳の痴呆老人を主人公にする、というプロットも強烈ですが、そんな彼に復讐を課す、という筋立てもあまりに凄まじすぎて私はもう画面に釘付けでしたね。

次に何が起こるのか全くわからない、半端じゃない緊張感。

何気ないシーンが全部、命がけの綱渡りに見えてくるんです。

もうこのままたいしたオチなく終わったとしても充分この作品は凡百を飛び越えて秀でてる、なんて私は途中で思ってたんですが、そんな私の浅はかな満足感を余裕で蹴飛ばしてくるのが実はエンディングで。

これは唸った。

まさか最後の最後にこんな風に全部ひっくり返して来るとは、と見てて変な声すら漏れた。

まあ、正直にいうとですね、もしかして・・・と思った部分はあったんです。

結末を示唆するようなシーンはありました。

でもそれを否定する設定も同時にあって。

あれ、どうなんだろ?と思ってたところに、突然これまで見てた世界の色が変わったものだから、もう、後ろからいきなり突き飛ばされたような気分でしたね、私は。

救いはありません。

けれど「ない」ことがこの作品に甚深な意味を与えているように私は思いました。

一級品のサスペンスであり、それでいて戦争が残した負の連鎖を見事描ききった傑作だと思います。

こんな映画はそうざらにはない。

必見でしょう。

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