アメリカ 2014
監督、脚本 ノア・バームバック
中年夫婦と若夫婦の世代を超えた交流を描いた作品。
中年夫婦の方は旦那であるジョシュがドキュメンタリー専門の映像作家、奥さんが映画プロデューサー、若夫婦のほうは旦那であるジェイミーが映画監督志望、奥さんはそれをサポート、という人物設定。
ジョシュ、一時期は世間の話題をかっさらう作品も発表してたんですが、最近はどうもスランプ気味。
新作も資金難で完成が危ぶまれる有様。
そんなジョシュに「あなたの作品のファンだ」とジェイミーが近づいてきます。
ジェイミーの気さくな人柄、自由奔放なライフスタイルにジョシュは奥さんともども影響を受けてしまう。
やがてそれはジェイミー初の映像作品にジョシュが手を貸すほどの仲にまで発展するんですが、実はジェイミーはジョシュが思っているような人物ではなくて・・・というのが作品序盤のあらまし。
で、なんで序盤のあらすじをわざわざ書いたのか、というとですね、ここまでで早くも私は振り落とされそうになったから、なんですね。
落ち目の映像作家がファンだと言われて気を良くするのはわかる。
でも40超えたオッサンがですよ、20代の若者の暮らしぶり、生き様に、それほど影響受けるものだろうか?と、私は思うんですね。
真似してヒッポホップやってみたり、夫婦そろって幻覚作用のある植物を飲み下すパーティーに参加してみたりね、まあ、いい大人がやることじゃないですよね。
子供ができない2人の屈折した閉塞感がそうさせた、みたいな描き方を作品ではしてるんですが、それにしたって極端すぎやしないかと。
そもそもね、いい年した大人だったらわかると思うんですよ、そんなことで目の前に横たわる問題は解決しない、って。
どうにも子供じみてるんですよね、ジョシュ夫妻の行動が。
ありていにいうなら、なんか「痛い」んです、この二人。
40歳超えるまでいったいなにを経験してきたんだ、というか。
若い頃一切遊ばず、外界から閉ざされた辺境のド田舎で生活してたのかよ、って。
結局映像作家と映画プロデューサーという肩書とその内面が、まるで交わることなく乖離しているように感じられちゃうんですよね。
そこまで影響されやすい人間が海千山千なメディアの世界でやっていけるのかよ、みたいな。
なので以降の筋運びで、ジェイミーが見かけどうりの人物ではない、と徐々に明らかになってきても、最初から共感できないまま見てるものだから、へえ、まあ警戒心を抱くことなく見ず知らずの他人を懐に飛び込ませたのだから、そういうこともそりゃあるよね、で終わり。
またエンディングがすっきりしないんです、この作品。
自分がバカだったのは認めるが、業界の先人としてそれはどうしても看過できない、君は間違ってる!とばかりジェイミーをやりこめるのか、と思いきや、ただ一方通行でわめくだけで何ら事態は変わらず、そのまま尻すぼみで落着。
いやはやカタルシス皆無。
あげくに最後にさとったようにつぶやいた言葉が「若いからだよ」って、なんだその自己完結、って話であって。
なにをやりたかったのか、私にはさっぱりわかりませんでしたね。
年甲斐もない事をするもんじゃありません、って戒めたかったわけじゃないでしょうに、と。
詰まることろ、ジョシュはジョシュなりの幸せの形が、他の何者に依存することもなくきちんと存在してるはずなんだ、という事を説得力ある形でシナリオに出来てないんです。
ああ、中途半端。
ベン・スティラーにナオミ・ワッツという好きな役者が2人もキャスティングされてるのになんでこうなった、と残念で仕方ないですね。
ノア・バームバックよ、フランシス・ハの素晴らしさはどこへ行った?
その一言に尽きますね。
余談ですがアダム・ドライヴァー、やたらいい味出してました。
収穫はそれだけですかね。